国体から弓道がなくなるかも (投稿17件)[1〜17]


1:元学生さん
日本体協、国体競技見直し案を承認――隔年競技も論議へ

日経の記事ですが、競技の入れ替えを考え始めているようです。
日本体協のHPで国体の方針を見ると
広報マーケティング活動の展開として
「みるスポーツ」として国体ブランドを
高めるとあります。そして、競技日程の
編成で入場料収入を念頭に置くと明記
しております。

さて、弓道が他の伝統競技(柔道や剣道、
相撲などが該当する?)同様に観客が呼べる
スポーツ化を受け入れるのでしょうか。

伝統を重んじるばかりに頑なに拒めば、
国体から消えるでしょうし、受け入れ
過ぎれば柔道のように伝統が改変する
かもしれません。

みなさんは、弓道の将来はどう進むべき
と思いますが?
私は少なくとも国体から弓道がなくなれば
自治体支援が激減するため、今の競技人口
および弓道場の維持はできないと思って
おります。

2:紫弓さん
 実際国際連盟を発足した理由が、国際団体を持たない競技は、国体縮小の該当にあたるって所です。何度となく苦心されたように思います。それに伴って、ある海外の連盟においても国際連盟に所属するか否かで、大変だったと聞いております。

 ただ、日本文化として、国技としての、国体はなくすべきではないでしょう。確かに財団として行われているから、考え様よってはショービジネスも出来るでしょう。ただ、多くの弓引きは開催・参加問題含めて、そう言う事は望んでいませんよね。
 
 昔から「鉄砲、釣り、弓」の三大道楽に数えられて来た物だから逆に人口が減る事によって出来るメリットがあります。
 弓道人口が減ったら、道具屋さんは何が出来るでしょうか?仕事が減るのだから、他の仕事として装飾を始めます。そうすると伝統工芸としての技術が上がります。弓引きと弓具屋さんの二人三脚が出来上がるのですよ。
 そんな時代の旧財閥お抱えの懸けを写真で見た事ありますが、今では見る事の出来ない素晴しい物もあります。こんなメリットもあります。
 実際問題、量産体制で手間を省いたり、技術を磨かない為に本当に失われてしまった技術もあります。逆に人口増で現れた技術もありますが、これに頼っていたら弓引き同士にも温度差が出来るって事もあります。
 
 公営の弓道場が圧倒的に多いって事は、それだけ個人の維持が難しいって事です。ともなれば、官側からすれば、国体で収入を得て還元して欲しいと言うのも本音でしょう。持ちつ持たれつつをどうできるかな気がしております。

3:グレーテスト本田さん
私は観客の入るスポーツ化には賛成です
ただ天皇杯、皇后杯のような射品射格を求める場も必要かと思います
スポーツ化すれば人口も増えますし
その中から道を極めたいと思う人が出てくると思うので入口を広くするのは良いことだと思います

4:元学生さん
>多くの弓引きは開催・参加問題含めて、そう言う事は望んでいませんよね。

現状の環境ではショービジネス化を望む声は少ないですね。
観客からの収入を見込まないなら、後は競技者自身がいくらまで費用負担できるかによると思います。

>公営の弓道場が圧倒的に多いって事は、それだけ個人の維持が難しいって事です。
公営が減れば市場原理に基づいた価格になるかと思います。たとえばゴルフ並に1回のコース練習並の数万円になっても弓道に取り組まれる方がどれくらいいるでしょうか。そうなれば競技人口の半分を支える高校生が簡単にできるものでなくなります。

現実、竹弓、竹矢は高校生にはとても手が出せない代物になりつつあります。
手作りの伝統の良さは十分理解できますが、その価格は広く普及することを阻害します。
量産品は、普及を進める一方で伝統の喪失を招きます。しかし、すでに羽が入手困難になるなか、残すべき伝統をさびわけする時代だと思います。国際的非難を浴びてまで中国の猛禽類を捕え絶滅を早める伝統(環境問題で絶滅する可能性が大きいですが、弓道が絶滅を促進してしまうこと)が後世に残すものなのか、違和感がぬぐえません。

今の弓道は、自治体負担に頼って格安の費用負担しかしておりません。自治体が倒産する昨今では、いつまでも続けられるものでないと私は思います。

ただ、これは一個人が憂いても仕方ないことで、多くの弓引きさんが経済的課題をもっと考えない限り、何も変わらないのでしょうね。

まとまりなく済みません。

5:元学生さん
補足です。
>たとえばゴルフ並に1回のコース練習並の数万円になっても弓道に取り組まれる方がどれくらいいるでしょうか。

今、公営の道場だと練習料金が数百円程度ですが、これが数万円になることを指しております。
あくまで仮定の話なので、体育館でやればもっと安いとのご意見があるかもしれませんが、公営の体育館がなくなりスポーツジムしか近くにない場合など、高くなる可能性は十分あると思って書いております。

6:鮭色さん
学校は道場があるから赤字とか関係ないのでは

そもそも弓道に限らず公営のスポーツ施設って基本的に赤字ですよ
福利厚生は自治体にとって必要な「支出」であって赤字ではありません

7:ぬふぬふさん
ちょいと話はズレますが、私個人が国体で弓道と同じように客が呼べないと思うスポーツ。
山岳系
アーチェリー
クレー射撃
銃剣道
なぎなた
ウォークラリー
武術太極拳
オリエンテーリング
インディアカ
グラウンドゴルフ
タッチラグビー
スポーツ芸術
射撃系
ウエイトリフティング
競技の1/3は無くなります。

それよりもある程度のお金持ちや特殊の方しかやらない競技を無くした方がいいんじゃないかと思いますよ。(乗馬とか射撃とか) 銃剣道なんて自衛隊の人しかやって無いと思うし・・・
逆に人口の多いスポーツは追加するべきだと思います。(フットサルとかモータースポーツ等)

8:元学生さん
学校の道場も施設維持費がかかります。
そして30年もすれば立替なり大幅な修繕が必要で、多額の支出が伴います。これまでの学校は生徒数が多く施設も立派に作ってきた箱物行政の跡がありますが、少子高齢化で生徒数が減り、学校への予算も減っている昨今では、予算以内に支出を減らさないと赤字になるわけで特定の生徒しか使えない道場より全校生徒が使える施設に限られた予算を回しませんか?

>福利厚生は自治体にとって必要な「支出」であって赤字ではありません
おっしゃる通り、福祉は必要な支出ですが、福祉として弓道が選ばれる可能性は低くないでしょうか。これも限られた予算の中で最大限の効果を考えるなら多数の人が使える施設に振り向けられるわけで、競技人口が減っている限り、国体同様削減されると思いますがいかがでしょうか。

国体種目がオリンピックを重視すると、オリンピック同様に商業主義にならざるを得ないと思います。山岳系でもロッククライミングがオリンピック種目になっておりより、見せる競技化がすすむかもしれません。

あと数年以内に削減される種目が提案されますから、それまでに何もしないのかそれとも国体に残るために何かするのか、日弓漣に期待したいところです。

9:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
国体開催には、多額の経費と多くの人手が必要になります。弓道誌には、県連会費を値上げし、何年もプールしてようやく資金を工面した話や、国体の開催そのものを返上しようという動きすらあったという話がございました。それほどの辛苦を重ねてまで国体に拘る必要があるのか、という気も致します。

また、国体開催に多額の税金が投入されるには、納税者の納得が得られなければなりません。そのためには「見てもらえる」競技に変質する必要があります。弓道を知らない人々が弓道の勝敗を知るには、やはり的中制が最も合理的でしょう。的中に秀でる者がもてはやされる傾向が顕著になることも考えられます。

かつて日弓連は、国際団体としての地位をアーチェリーに明け渡し、「武道」として生きる道を選びました。今回はどちらの道を選ぶのでしょうか?

10:元学生さん
>「見てもらえる」競技に変質する必要があります。

あらためて教本を見直すと、将来スポーツ性が強くなり、国際的な面が強くなるだろうと予見しております。そして、弓道の倫理性で「大衆がこれを楽しみ、これを愛すことは一層望ましい」とあります。
執筆された昭和20年代において既に弓道がかかえるであろう国際化、大衆化の課題を認知しておられることがわかります。

大衆が楽しみ、これを愛すとは私は大衆=弓道を知らない人に「見てもらえる」ことと素直に受け取れるので、「変質」というより教本にある「進化」と考えられないかと思います。

弓道の一面として自己の反省がありますが、弓道そのものについて、自己の殻に閉じこもらず大衆の目で反省する点は反省し、過去の弓術への「退化」を回避することが、教本を書かれた先人の先見性に報える可能性があるように思います。

教本を勝手な理解で書いており色んなご指導もありそうですが、教本を読み返すと今の弓道が直面している課題は既にわかっていたような書きぶりに驚いております。

11:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
>大衆がこれを楽しみ、これを愛すことは一層望ましい

一方で、教本には「日本の弓道は的中至上主義をとってはいない」「学校における弓道の意義は、健康の増進とともにこうした徳目(=弓道が教えてくれる躾や慎み、和敬、克己、反省等)を身につけることにある」ともあります。

私が思うに、教本が「大衆がこれを楽しみ、これを愛す」ことを期しているのは上述した理念に基づく弓道であって、面白おかしい見世物でないのではないでしょうか。オリンピックの商業主義が見世物として面白いスポーツを期しているのとは対極にあるように思われます。

無論、教本ができた時代とは全く考えが異なっている現代、私の考え自体がかび臭いものであるのかもしれません。

12:天龍さん
「弓道は見るものでなくやるもの」という根本的性格はどうあがいても変えようがないし、教本の弓道の倫理性で述べる「大衆化」は専門性や独善性の殻を破り、より多くの人々に弓を引く楽しさを知ってもらう、ということにほかなりません。
広く大衆にゲームとして観戦されるように工夫する、などと考える弓道人がいるはずもありません。
武道は、自ら実践することを本旨としており、観戦や応援は本来そぐわないものです。

国体の当初の目的が、スポーツ振興と地方経済の底上げにあったなら、その役目は終えたと見ます。
現在、公費を投入しての国体存続を納税者に納得させるためには、その効果すなわち競技者と観客双方の興味を満たすというハードルを越えられねばならないのかもしれません。
弓道には少々荷が重いと言わざるを得ません。

一方で、学校教育における「体育」や「課外活動」でのスポーツ、武道は、あくまで実践であり観戦の概念はありません。
国体種目から外れたとしても、教育の場から排斥されるというものではなく、それをもって弓道普及の裾野が消滅するとも思えません。

13:元学生さん
>オリンピックの商業主義が見世物として面白いスポーツを期しているのとは対極にあるように思われます。
おっしゃるとおり、徳目は弓道の大きな魅力の一つで、面白おかしい見世物とは対極に位置すると思います。
ただ、私が思うには、スポーツ全般に通してこれほど広く受け入れられるには、面白おかしい見世物だけでなく、見ている人に感動を与えるからでないかと思います。
弓道にも観客に感動を与えるものがあり、幸運にも私は何度かそのような場面を目にする機会にめぐまれました。
それ故、弓道も極めれば十分に「見せる」そして「魅せる」ことができる可能性を秘めていると思います。
ただ、今の国体競技では「見せる」ことをしても競技上評価されません。

>観戦や応援は本来そぐわないものです。
大変申し訳ないのですが、この本来とは弓術のことでしょうか。本来論をされるなら、弓は殺人道具です。紙を射抜く遊びでなく甲冑を貫き、人を傷つけ、戦いに勝つための道具です。
そのため、「本来そぐわない」と観戦や応援を排除する方向に向かうのは、弓術への先祖帰りになってしまわないかと感じます。
言わんとされているのは、自己鍛錬とでも言うのでしょうか、徳目を身につけることが見せるものでない事を指すと思いますが、真・善・美を目指せば「昔ながらの武技でなく、
新しい時代の感覚にも訴えかけるものでなくてはならない」ことにつながり、「弓道はやるものでありみせるもの」に変われる可能性はないでしょうか。

無論、今の弓道がとっている状況があまり観戦や応援を推奨してないことはわかります。
(大学弓道は応援が部全体の一体感を生み出す原動力でこれは一つの魅力です。)
だから、今の競技では国体の進む方向と合わない面が強く、「弓道には少々荷が重いと言わざるを得ません。」という回答が多数を占めるのでしょうね。

>学校教育における「体育」や「課外活動」でのスポーツ、武道は、あくまで実践であり観戦の概念はありません。
確かに実践ですが、甲子園はどうですか?
そして応援団が結成され日々応援の練習をしていることを思うと、対外試合を通した観戦が含まれていると思います。
母校が活躍する姿を通し、全校生徒やOBが一致して応援する一体感は、教育の一環としているからこそ、甲子園に学校先導で生徒を応援に送り込んでいると思います。

ただ、弓道には応援団が来ない(来れない)のも事実ですが。

今の弓道がもつ「魅せる」可能性を見出せれば、他の競技との相違が出せるので国体に残せると思うのですが、難しいかな。

>国体種目から外れたとしても、教育の場から排斥されるというものではなく、それをもって弓道普及の裾野が消滅するとも思えません。
そうかもしれません。こればかりは正しいともそうでないとも言えません。
このスレの目的として、今のままで弓道が消滅しなければ良しですし、するかもしれないなら、何かできることはあるのか考えるきっかけになれば幸いです。

14:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
>甲子園
私は、これこそ「見せるスポーツ」の典型と思っております。アマチュアとは言いながら、全国制覇を狙えるのは野球だけに特化した選手を揃えうる私学が殆ど(それだけに公立校が活躍するとマスコミが大喜びします)。また、「高校球児=清廉潔白」がやたら重要視され、特待生の扱いが問題視されたのはつい昨年だったように記憶しております。また、TVで地方予選を中継しますが、1回戦のうちは応援もまばら、準決勝辺りになって夢に手が届きそうになって初めて全校的な応援ムードが盛り上がっていくように思えてなりません。

閑話休題。

弓道を翻ってみるに、甲子園ほどの「マスコミ受け」を狙うのはまず無理でしょう。射詰め数十回の白熱した勝負とでも言うならともかく、どんなに射型が綺麗でもそれだけではマスコミ受けは良くならないように思われます。弓道を知らない人々が弓道に関心を持ってもらうためには、マスコミの影響力は軽視できません。そう考えれば、やはり「見せる弓道」たらんとすれば、かなり思い切った改革が必要と思われます。良きにつけ悪しきにつけ。

15:元学生さん
「マスコミ受け」と徳目。
まさに教本にある「弓道の二つの面」ですね。
高さを伴った底辺の広さをもつ三角形になれなければ、より大きな三角形をなしえないです。
射技と体配の関係に似てますね。
どちらも両輪で弓道を成す大切な要素でありながら、射手は成長の過程においてどちらかに偏ることがあり、違う道を歩む者に対してなかなか理解できにくいものと通じるものがあるように思います。

マスコミ受けが弓道を損なうものでなく、発展を支えるものにするにはどうするのか、今の私たちに突きつけられた課題かなと思います。
もし、上手く取り入れて進化できれば、弓術が弓道になったように弓○という(○はまだわかりません)別物に変遷するかもしれませんね。
弓道ができて半世紀。今の時代は弓道が変わってしまうぐらいの変化を求めているのかもしれません。

16:浩然さん
弓道は一般的にマイナーな競技のように思われています。しかし、高体連
実施約40種目の中で弓道の部員数は第9位、そして、平成8年から18年の
10年間で最も部員数の増加が大きい競技(他の競技は少子化、部活離れの
影響で軒並み減少しています)である事実を皆さんはご存じでしょうか。
高野連の加盟校が増加していますが、野球という競技自体は私が子供の
頃と比べてもキャッチボールや三角ベースをしている子供が皆無となった
事実を考えると、要は親が一所懸命になっている少年野球が振興している
だけで、以前のように誰でもやっている(町内や社内の大会も無くなりま
したね)競技では無くなったように思えます。かなり多くの弓道部経験者が
日本には居るということを肯定的に捉えていけば、弓道競技自体は日本では
もっとメジャーになれる存在だと思います。

メジャーになりきれない原因として、私は次のように考えます。
まず、弓道は「弓道場」が無ければできないこと。近くに道場が無いことを
理由に再会できない人は潜在的にたくさんいることが予想できます。極端な話
他の競技は正式な競技場が無くてもできるものが多いですね。しかし、危険
防止の観点からも、弓道は道場以外で行うためにはかなりの困難が伴います。
そして、剣道なら警察、柔道なら企業がそれぞれバックアップできますが、
弓道の場合、大きなバックアップ団体が存在しえません。剣道よりもさらに
アマチュアリズムに特化した競技だといえます。

続く

17:浩然さん
国体に関していえば、本当にスリム化をしたければ成年と少年を一本化すれば
良いと言ったところ、そうしたら、開催県が勝てなくなるので、その話は絶対
出てこない(少年の競技は得点を計算できるそうです)と聞いたことがあります。
実際、国体があったから全国に大きな弓道場が次々に出来たという事実は否定
できません。また、高校生や大学生にとって国体はそれほど出たい大会では
無いにもかかわらず、県からの助成を受けるためには、国体に力を注がざるを
得ない連盟の実情もあります(実際、弓道は得点を稼ぐためにはかなりおいしい
種目のようです)。

かつて、「弓道って何が面白いの」という質問を多くの人にしたことがあります。
実は、この回答がすごく難しい(これだけでスレを立てられるかもしれません)。
結局「やってみたら面白かった」というあたりにしか落ち着きようがないと思い
ます。やってみないとわからない面白さというのは確かにPRポイントとして
弱いのですが、商業主義に冒されていない裾野の広いスポーツ(あえて武道とは
言わない)として弓道はやっぱり良いものだと思います。

最後、脈略もない話になってしまいました・・・。


ホーム > 弓道座談会 > 2009/06まで 雑談・その他 > 国体から弓道がなくなるかも (投稿17件)[1〜17]

(c)デビール田中 : 問い合わせ