小離れはダメなのか? (投稿38件)[1〜38]


1:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
現在全弓連では、「小離れ」を異端視しているように思われます(初心者への指導でも、残身が小さいと「大きく取れ」と仰る方が大半です)。
しかし、改訂される前の古い教本を見ますと、この小離れが残身の一つとして紹介されています。また、範士の先生の中には小離れの方もいらっしゃいます。

なぜ異端視されるに至ったのか、その経緯や理由は存じませんが、恐らく弓手の押し切り※によって離れを誘う事が「自然な離れ」という現在の教本の考えに抵触するからでは、と憶測しております。
※私は、小離れは「弓手の押し切り=馬手にあまり大きな動きをさせない射法」での残身、と認識しております。

さらに言えば、「自然な離れ」の条件の一つとして、「伸び合える会相」が欠かせないと思っております(具体的には、教本1巻巻末図解のような)。しかし、体型によっては(例えば腕が短く、掛け金の形を取れない)この形を取るのが難しく、やむを得ず会相が小さくなり、押し切りで離れを誘わざるを得ず、結果小離れになることも止むを無い、と思っております。体型的に無理な事を強要しても上達は見込めないでしょうし、それでは教えられる方も面白くないでしょう。

果たして「小離れ」は時代遅れとして切って捨てるべきなのか?合理的な射法として見直す余地はないのか?何とも取り留めの無い話で申し訳ございませんが、皆様のご意見をお願い致します。

2:無影心月さん
理想は大離れです、なぜなら左右均等に引き分けるからです。また、年を取るにつれて、体が大離れをしにくくなる、よって小離れに見えるが、気持は左右にずっと伸びる気持なので見た目で言えば小離れだが、気持は大離れだそうです

私の意見としては離れは会の結果ですから、あまり気にしなくてよいのでは?(作った残心はダメですし)

3:六連星さん
岡崎無双(漢字あってるかわかりませんが)と調べてみて下さい。

4:二千翔さん
私から言わせて頂けば、初心者の意識する大離れの大半は弓手の誘いを無視した妻手離れの典型的な射法です。大体、引き尺のおよそ3分の2は弓手が収めているのですから弓手の誘いによる離れが理想的であるべきです。この条件化での離れであれば残心の形は体格、リーチ、腕関節の個人差によっては小離れにも成り得ますし、大離れにも成り得るのではないでしょうか?左右のバランスの割合は弓手3分の2、妻手3分の1の引き収めが理想的な訳ですし(まあ正面から見てもらえば明らかですけど)左右均等というのは弓手の力を妻手に接収される結果となるので本来のパワーバランスを乱す事となるので基本的には理射に反しています。従って大半の大離れはパワーバランスを乱した会の結果であると言えます。かと言って、弓手の誘いのみに気を向ければ当然それもパワーバランスを乱した会の結果であると言えるでしょう。中離れという残心が丁度良いパワーバランスの結果であるのではないでしょうか。(この中離れというのが指導者や教派の違いによってニュアンスが異なり大離れとも中離れとも小離れとも解釈してしまうのでしょうね)

5:弓遊び ◆.t4dJfuUさん
>1
弓道教本第三巻 P.151にも目を通してみましょうよ。平成14年4月1日 31刷発行分ですけれど…

それから話をはじめても遅くはないと思いますよ。

6:無影心月さん
>4
しっかりした意見だと思います
そこでふと頭をよぎったことなんですが、左右均等に引き分けるのは両肘を丹田(私もまだ何となくしか場所がわかりませんが)に対して、左右均等に引き分ける事で、しかし、これを初心者に教えるとどうしても、勝手離れになるので、弓手からの離れを教える事が多いそうです
しかし、弓手からの離れは、少しは退き肩になるので、最終的には左右均等(肘で)に引き分ける離れをお勧めしておきます

7:枕流さん
私には難しい問題なので教えてほしいのですが、なぜ引き分けは左右対称でなければならないのですか?

8:二千翔さん
>6
確かに弓手の誘いによる言わば和弓術の弊害が引き肩です。(この場合は妻手の緩みの原因となる訳ですが。)その難点を克服するためにも肘による引き分けと引付が重要と成ってきます。しかし、手の内のしぼりが甘いと引付によって弦を掃ってしまい、結果離れに対する恐怖心を生む形が出来てしまいます。また、妻手の一方的な離れの誘いが癖として残ってしまいます(前離れで無理やりにも弦に回転を与えてしまうことになります)言わば、パラドックスによる的中です。高校時代に活躍できた選手が大学弓道等にキャリアをあげたと同時にパラドックスによる的中が消えてしまい崩れた射の脱却に奔走するのです。私も痛いほどそれらを見てきました。でも結果的にメモリの無駄使いが激しかったようで修正できる選手は一握りにも到りません。技術的な話に戻りますが、それゆえに弓手の肘は支点固定と手の内による最終的なしぼりを加えた離れの誘い、妻手は縦横斜め(これはどう文書にしていいか分かりませんので...)という風に三次元軸を捕らえる支点移動とそれを可能とする脈処の取り方が重要です。そのためにもやはり、両肘の引き収めは左右対称(正面で見たままではなく三次元的に)でなくてはならないのです。ただ、前レスで申し上げましたが引き収めと離れの誘いのパワーバランスは弓手3分の2、妻手3分の1が理想的です。(言い忘れていましたがこの対比はリーチ比で捕らえてください。あくまで体軸から生産されるエネルギーは左右平等ですから。)

9:麩さん
ただの流行でしょ
大きくても小さくても、利点も弊害も両方あるし
これ「だけ」が良いという思い込みのみがOUT

10:天龍さん
そもそも大離れ、小離れは、単に大きいか小さいかではなく、肘の使い方が正反対なのです。
小離れは、肩を支点にしてしっかり締めた肘を下方に自由に逃がしてやることによって、馬手拳を矢筋通りに飛ばします。
大離れは、固定した肘を支点にして、拳を扇状の軌道を描かせて矢筋上の的正反対位置まで飛ばすのだと思います。
いずれにしても、馬手の動きはノーモーション、急激なゼロ発進です。この繊細な仕事をいかに正確に毎回させるかが問題であって、どの方法論をとるかは年季で染み付いた反射動作と、残身の姿の好みによる訳です。

小離れの射手としては少々肩身の狭い思いですが、大離れ礼賛の風潮はただの流行であると思っています。

11:リハビリ弓人さん
結果的に大離れになるか小離れになるかということを考えると、これは勝手の前腕部の使い方になるのではないでしょうか?

勝手の伸びを肩・肘のみで行うなら、いくら会で強くしっかりと伸びたとしても、小離れになる可能性はあると思います。

ただし、前腕部に張りが出るような伸び方をすれば、会での伸びの強さに比例して大離れになるのではないでしょうか?

僕は、カケによる差もあると思います。
四つカケならば、その仕組みを考えれば肘での伸びというのは正道となると思いますが、三つカケの場合は、帽子の向きや控えの働きを考えると、勝手に多少の捻りと前腕部の張りが無くては、鋭い離れは出ないというのが本当のところでは無いかと。つまり、勝手拳が矢筋に伸びていく働きが無いと、離れが誘発される方向に帽子が起きてこない筈だと思うのです。

だとすると、控えありの三つカケを使用する場合において、極端な小離れが出るのは、会での伸びが止まっているか、離れで勝手の手の内を意図的に開いて離している場合のみではないのでしょうか。

そういう理由から、僕は三つカケ使用者なので、会での伸びの力に離れの大きさが比例するものと判断し、自分では結果的に大離れが出るように意識して練習しています。

諸カケは使用してみたことがないので、良くわかりませんが、いずれにしても、道具の差によって意味の違いはあると思います。

離れる瞬間にどのように伸びていたかの結果が離れの大きさに現れるだけですから、作った離れでなければ、どちらが良いとか悪いとかではなく、その結果がどういう意味をもつのかを考えて、自分の射の現状を把握し、自分の意図する射の修練に役立てるということで良いのではないかと思います。

12:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
多数のご意見を頂き、厚くお礼申し上げます。

まず、一部前言を補足修正いたします。初心者の離れ・残身ですが、これについては馬手離れの大離れも止む無し、と思っております。離れの感覚がつかめないうちは、手をパッと放して離れを作るより外にないでしょう。私が今回問題提起したのは、ある程度修練を積んで自分に最適な引き方を見つけるべき段階での話、と捉えていただければ幸いです。

大・中・小の離れは目的ではなく、そうなるべき道具を使い、引き方をした結果であるとのお考えが多いことに、意を強くしました。もっとも、「大離れにあらずば弓にあらず」的な風潮の現在、小離れが少数派であることには恐らく変わりは無いでしょう。

岡崎先生はご自身のサイトで、大離れの隆盛を「今はそうだからというだけのこと」と述べていらっしゃいます。「ただの流行」であり、優劣は無いと・・・。
しかし、単なる流行であるならば、なぜ流行でないものを排除するのか?大・中・小の離れそれぞれの違いを認め、その人に合った離れ(=引き方)を認める、という指導であっても良さそうなのですが、現実にはそうではありません。体格的に大離れに向いていないであろうと思われるのに、そうするよう言われてやむなく大放しを続けている方を見るに付け、もっと幅広い考え方があってもいいのではないか、と思案しております。

また、現在は堅帽子・控えありの三つがけ(以下、三つがけ)が主流ですが、祝部至善先生の言われる大離れの会相となるためには、このかけでは控えが邪魔をして難しいように思われます。特に腕が短かければ尚更でしょう。どうしても大離れを、ということであれば、そうできるタイプのかけを各人に合わせて認めるべきだと思うのですが、現実には三つがけ以外は既製品の在庫も貧弱で、選択の余地がありません。指導者の中にも「三つがけ以外は認めない」という考えの方もいらっしゃいます。

前腕の張りが大離れのポイントである事は、様々な本に記されています。ただ、胸の中筋からの伸び合いがないと、結局腕の振りだけで離れを大きくする結果となり、的中には大いに不利でしょう。この辺の考え方も整理されず、ただ「大きな離れを」と言っても混乱を生むだけなのでは、と危惧しております。

>引き分けは左右対称でなければならない
左右均等、でしょうか?左右のバランスを取って引分けることで、胸の中筋より割れる鋭い離れが生じる、という事です。

13:たぶんおやじさん
>ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さんへ

竹林の系統は前に述べた肘を上に向けて下に押さえる様な弓手と馬手で納め、縦線で下から横線を切るように離す様な方法と

肘を立てて45度に引き納め横線を肩甲骨で切る様な引きが大まかに二つ有るように思います。

本多流も本多翁や阿波氏も残心から見ると前者の様に思います。

安沢氏や神永氏は後者のように思えるのですがなにぶん直に見た訳ではないので半分憶測です。

骨格に合った射や射術の選択肢が無いのは単に不勉強なのではと思いますが・・・

教本の方々は〜流を修めさらに〜流を修むと複数の先生に師事されています。
今は余りそうと聞きませんので、
その辺りが連盟一辺倒になるのでしょう。
纏まらずに乱文にて失礼しました。

14:ななさん
僕は今の日弓連の指導を守れば大離れになると思います。
小さくなったとしても小離れじゃなく小さくでてしまった大離れだと思います
僕の小離れに対するイメージは勝手を肩からガッチリ締め固め押し手側だけの伸びによって離れを誘う射ってイメージですね
アーチェリーってこんなかんじなんでしょうかねぇ

何らかの美的感覚(左右対称、力のかけ方や外観ともに)によって大離れが流行ってる気がします

15:たぶんおやじさん
>アーチェリーってこんなかんじなんでしょうかねぇ
左手を殺すために右足重心で退き胴の様ですし絞りはご法度です。

16:アチャチャさん
ゆるみ離れさんへ

アチャチャと申します。
なにぶん初心者ですが、私の経験を述べさせて頂きます。

呼吸によって、成果丹田に力が集中して、背面にある肩甲骨の間のある一点に支点のような感覚ができ、そこにも息の収まる感覚ができたとき、自然に大離れになりました。
まさしく、大の字です。

この大離れが出来たときは、左手から右肘までが弓になります。
本当の弓に対して、その弓を引くからだの弓は垂直になり、しかもからだの弓と弦を含む平面はほぼ水平を保っています。

弓を引くからだ自身(左手・左腕・左肩・背面の一点・右肩・右肘)が一本の弓になると、肩だの肘だの手首だのと力が偏らず、離れでからだの弓が自然に元の形に戻る勢いで、大離れになります。

その為には、先ほど申し上げた背面の一点の感覚が大事だ、と思いました。

17:無影心月さん
浅はかなので質問させていただきます、「成果丹田」とはなんですか?「臍下丹田」や「丹田」とは違うのですか?

18:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>無影心月 さ ま
>成果
臍下の単なる誤変換では・・・?

19:アチャチャさん
私の投稿に、成果があったようです。
二件もレスを頂きました。

確かに、変換ミスそのものです。
お騒がせして、申し訳ありません。

20:アチャチャさん
もう一つ言い忘れたことが、ありました。

矢軸方向に伸びあうことを良しとすれば(つまりその方向に素直に矢が飛んでゆくことですが)、その為には会での右腕が、やはり円相をイメージして、その力加減を身に付けなければなりません。

右肘の所で、前腕と二の腕が折れている感覚になっていては、その他が正直になされても、矢は的の(時計で言えば)1時半の方向にずれて飛んでしまいます。

この理由は、中学生レベルの力の働きを考えると解ります。

そして、今朝の一言ですが、この結果右腕の肘は大きく開いて、大離れを誘発します。

21:ヒヨコV3さん
自分がそれで良いと思うのであれば周りの声など気にならないと思いますがね。
要は力の働きが正しいか正しくないか。ではないでしょうか?

22:アチャチャさん
ニ千翔さんへ

パワーバランスについて、書きます。

会のときに矢筋方向に伸びあうのであれば、左手と右肘にかかる力は、つり合います。
つり合うから、会の形が維持されるわけです。

しかし、その力を体で支える、直接的には両肩で支えると考えた時、左右の肩にかかる力、言い換えれば、その負担は異なります。

車を持ち上げるジャッキで説明します。
同じジャッキを2台(甲と乙)用意して、甲は力を加える棒の長さが乙の2倍とします。
もうお分かりでしょうが、甲の長い棒が会での左腕、乙の方は右の肩から肘に相当します。

さて、この2台のジャッキの棒の先端を持ち、Aという同じ大きさの力を加えます。
この時、乙から生じた持ち上げる力の大きさを、仮に1とします。
そうすると、甲は”てこの原理”で棒が2倍長いので、2の大きさの力が得られます。

つまり、甲は乙と同じAという力で、乙の場合の2倍の2の大きさの力を働かせています。

すなわち、てこの原理は可逆的ですから、ジャッキの持ち上げる力に於いて、甲が乙の2倍の力を働かせている時に、各々の手で持っている棒の先端にかかる力は等しいのです。

ゆえに、左手と右肘には同じ大きさの力が働いていても、それを直接的に支える左肩には右肩の2倍の力・負担がかかっている、ということになります。

これが私の、弓手と馬手、(3分の)2と(3分の)1の意味です。

23:リハビリ弓人さん
>12
ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん

最近この掲示板を見るようになってから、あなたの問題提起の奥深さにはとても勉強させられます。

確かに、現在の…というか、実際には時代を問わず常にそうなのかもしれませんが、物事を多角的に考え、理由を科学的に考察するといったような柔軟な指導方法を持っている方というのは、そう多くないような気がします。

ここに書込みをされるような方々は、少なからず弓道を科学として分析されているように感じますが、実際に道場へ行くと、口伝と経験と勘のみに偏った指導をされる方のほうが多数かと思います。

現代の弓道はもちろん精神性を重んじ、礼を中心に置き、旧来からの伝統を正しく守っていかなければならないことも責務ではありますが、弓道教本において諸先生もご指摘されている通り、その上に科学的根拠に基づいた新しい風潮をプラスしていくことも、大切な責務だと思っております。

もちろん、多大な矢数に裏打ちされた科学でなくては、ただの机上の空論になってしまいますが、願わくは多くの方がこのような場で議論され、新しい時代の評価や指導の指針が示されていくことだと思っております。

これからもそのような深い問題提起をされることを楽しみにしていると同時に、全く力は及びません若輩ですが、問題提起に対して成否はともかく、自分なりに筋の通った受け応えができるように、日々精進したいと改めて思いました。

スレ違いなレスで申し訳ないのですが、問題提起と返信とにあまりに感動致しました。
長文ごめんなさい。

24:二千翔さん
>アチャチャ様
仰っている意味そのものは全く同じでは?前スレの最後に申し上げましたが、体軸...回りくどい説明は極力避けたいのですが、上体から臍下、下体、足心(両爪先、踵を線で結んだときの交差点)が正中線軸が正しく支えられた状態つまり正胴を標準とします。これは退く胴等による左右の力の接収が無いとするためです。に加えて、左右両半身に筋力的差異が認められないものとしたとき、体軸から生産されるエネルギーは左右平等です。つまり引き尺、弓手3分の2、妻手3分の1の対比であっても互いの負荷は全く同じなわけですよね。ではこの均衡を崩さずして離れるにはどうすれば良いということです。貴方は如何お考えですか?

25:加門さん
 流派弓術を行っているものです。難しいことはよくわかりませんが、小離れにも勝手の動きで一寸、四寸、八寸等があります。
 流派の勝手の納まりでは小離れしかできないようになっています。中離れ(1尺)以上の大きな離れを出すには勝手肘の伸びの方向を変えるのです。
 伸び合いは特に意識していませんが、「押し抜き」と離れ方を呼んでいますので、押手主導となっているのでしょう。
 利点ですが、決まれば的の眼にしか入りません。1寸八分の小的狙いには有利だと思います。
 ただ、流行から外れていますので、流派の道場以外で一寸離れなどすると白眼視されます。当然のことながら、日弓連の審査は念頭ないのですが、ひとつの完成された離れである「小離れ」が衰退してしまうのは悲しいことです。

26:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
引き続き多数のご意見をお寄せ頂き、また激励の言葉まで賜り、感謝の念を新たにしております。お一人ずつに返信させていただくのが筋なのですが、皆様のご意見は逐一拝読し噛み締めておりますので、何とぞご宥恕下さい。

「現代弓道小事典」を調べていて、小離れ・大離れについて次のような一文を見つけました。

「的中の多いのは小放れに多い。大放れは的中はまず乏しいが、自然的で理論にかなった放れで、又爽快の放れでもある。」

無論、離れだけが的中の条件ではないし、大離れで高的中を誇る方も大勢いらっしゃいます。しかし、弓道の一方に技があることは、教本にも明記されています。弓道の技の向上が的中の向上を目的とするものであり、小離れが的中に有利であるならば、これを研究し修練することは、決して弓の道に反するものではない、と考えます。大離れも小離れも祖師の残した大切な遺産、大事に受け継いでいく機運が高まることを願って止みません。

27:射楽斎U ◆5aoi8gEMさん
現代弓道は、命のやり取りが無いということが最大の特徴です。
すなわち、全力で最高の射を追求できるということです。
相手との駆け引きや、的中への妥協がまったく必要でない時代の弓道だということです。
こんな時代の弓道とはどんな姿になるのでしょうか。
私は、絶対の持満の中から、全力で離れて正鵠を射抜く弓道だと思っています。

たとえば、本多流の小離れは、馬手かけ帽子を跳ねると一般には見られていますが、実際は前腕を内転させながら肘を押し込み、手の内の発動を鸚鵡返しに受け取って、肘を押し込みつつ前腕を外転させて離れます。
実演してみてください、小離れにしかなりません。
この射法は「鸚鵡の離れ」といわれるとおり、手の内の働きと馬手外転の供応による離れです。
熟練するときわめて鋭い離れが出ますし、きわめて精妙な的中が得られます。
しかし、現代は何の制約も無く全力の射を追求できる時代です。
体幹の十文字をしっかり組み上げ、伸び合い、全力で離れてなお絶対の的中を追う。
的を射抜くのは当然ながら、全力を尽した満足感と、見るものの心をも揺さ振る離れ、これが現代という時代の要求する弓道なのではないでしょうか。
歴史的伝統弓術を極めるのも、現代弓道を極めるのも、個人の自由です。
私も、印西と本多を全力で身につけましたが、今は違います。
命のやり取りの無い現代弓道を存分に極めたく存じます。
その結果として、かつて三十三間堂で主流を占めた精妙な大離れと、存分な持満からくる納得の爆発を求めたいと思っています。
しかし、これはあくまで私個人の思いであって、皆さんの自由です。
自分の意思で、どんな弓道にも取り組めるいい時代に弓道にめぐり合えたことに、感謝しております。

28:たぶんおやじさん
私の高校の師範は四寸八寸の離れと黒板に書いたら八寸四寸ではないのか?と尋ねられました
S40年頃から審査等を受けていなかったようですが20年で変ったようです。

ただ、現時点での弓道は何を元に伝統と称するのか?
その元は累々と続く流派に他成りません。
射法訓の書とは何時頃のものか?(おそらく室町時代でしょう)
技術は流行で理念は古いそこらに矛盾が有るのでしょう。
ある範士十段曰く本当は小離れで無ければおかしいと・・・・
流派という個性
日弓連の枠
いずれ論争が起こると面白いがね

29:アチャチャさん
ニ千翔さんへ

離れるにはどうすればよいか、という事ですが、正直私には解りません。
実は、自分の弦音も聞いた記憶が殆んどありません。

ただ、心当たりをお書きすれば、会者定離ではないのでしょうか。

これしか書けずに、申し訳なく思います。

30:リハビリ弓人さん
>射法訓の書とは何時頃のものか?(おそらく室町時代でしょう)

射法訓は吉見順正ですから、三十三間堂の通し矢で天下惣一を成した和佐大八郎の師にあたる吉見台右衛門のことで、紀州竹林の方で、ご本人も堂射の名手らしいです。
カケの帽子に角を入れるのも、この方が発案したものだという話もあるようです。

なので、おそらく江戸初期ではないかと思います。

31:リハビリ弓人さん
あれ?上の的顔まちがってました
別にキレてません(笑)

32:二千翔さん
>アチャチャ様
このスレの問題提起は大離れの流行と利点、不利点を、小離れの利点と不利点を、また射としての評価等をある意味ではありますが技術論や思想論も織り交ぜて話し合われているようです。私も噛み付いて申し訳ございません。

33:龍斎さん
本来(流派)は、「大離れは初級・小離れは上級」と言う考えがあった様ですね。

健康弓道にまで成った今、無理に小離れにする必要はないのでしょうか・・・

ただ、健康等の知識はありませんが、

初級には大離れで離れの感覚を積ませ、

上級は小離れで馬手の安定を生むと考えれば、その順序も納得です。


「どちらがいいか」とは言いにくいですが、

どちらにしろ、古来からの技術が衰退していくのは悲しい事です。



しかし、他流派の様に「○○流の最高は小離れ・・△△流の最高は大離れ」と考えれば、


「連盟(流?)の最高は大離れ」という認識で良いのではないかと思っています。
やはり、射法によって離れは左右されますし。

34:たぶんおやじさん
>書は四巻の書を指すといわれています。
山東著の四巻の書注釈を見ますと
1418年 日置弥左衛門範次
中略
1594年 石塔竹林坊如正
中略
1690年 吉見台右衛門  印可

射法訓は17世紀ごろでしょう。

35:リハビリ弓人さん
なるほど!
射法訓も元を辿れば古い文献なのですね。
失礼致しました。
勉強しますm(_ _)m

36:アチャチャさん
ニ千翔さんへ

真摯な返信、有り難う御座います。

私は年齢は50を過ぎていますが、弓は初心者です。
競技大会で優勝することや昇段・称号を得ることには、興味がありません。
もっぱら、私の的は、巻き藁です。

そんな私が大離れになっているのは、目指しているもの(心の中の的)の自然な結果だろう、と思われます。

37:リーさん
弓道が的中を目標とするならば、いかに離れのキレを良くするかが最大のポイントになるのではないかと考えます。

押手を重視するのも「押すから引ける」の理屈で。結局は引く為のものであると考えます。であるならば、勝手は最速最短の動作で切るべきではないでしょうか?

それはつまり小離れになると思います。大離れは押し引きのバランスを心得るまでの便宜ではないでしょうか?

38:射楽斎Uさん
以前、全く違う観点から書き込みましたが、今回も全く異なる観点から…。
バッティングで、外野席上段まで持ってゆくようなホームランを打つ場合、ジャストミートしたボールをバットに乗せてしっかり運んで振り抜きます。ボールがバットから離れて飛び出せば後はどうでも良いのですが、バットは止まってくれず、しっかり振り抜いてしまいます…まさに大離れかな…バットは急に止まれないのです。
堂射においては正確な低い弾道で矢を通すためにほぼ一直線に切り抜く大離れでした。決して的中精度を無視したわけではなく、正確無比の弾道で強弓・速射・精妙を大離れで実現していたのです。
小的、それも三寸以下の的を精妙に射抜くには全く異なる感覚で離れを出すようになったのだと思います。
その一例が、以前ここに書いた本多流の例です。
問題は尺二寸の霞的です。この大きさは三寸以下の小的ほどの精妙が必要でなく、28m先の的というより、岡崎範士の言う無限の彼方へ飛んでゆく矢の通過点と言う意識を持てば、堂射的大離れが十分可能です。この感覚を発見した岡崎範士が現代流大離れの先駆者です。
彼が錬六〜教七のころ、亡くなられた菊地慶孝全弓連副会長に、「その離れ何とかならんか」と指導されていたのを何度も目撃しています。
発想の相違であって、今の範士でも岡崎先生と同じ大きさの大離れはほとんどいません。
確かに、完全な小離れも見ませんが…。
思想の違いであって、絶対ではないと認識しています。


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