弓道界の目指すべきところは? (投稿96件)[1〜96]


1:ラブフィストさん
タイトルの通りです。
個人的な目標ということではなく、弓道界そのものが目指すところはいったい何なんでしょうか?ということです。

私が弓道をやっていて昔から疑問に思っていたことはアーチェリーとの関係です。
多くの弓道家は「アーチェリーの方が弓道より的中率が高い」と認識しており、それを「当たり前」と考えていると思います。
「アーチェリーの的中率」を目指している人はほぼおらず、「種目が違うんだから目指す必要がない」と考える人がほとんどではないでしょうか。
それは「武道」と「スポーツ」の違いがありますし、歴史も全く違いますから当然と言えば当然です。
一般論としては「弓道は武道であり精神を鍛えるものだから、的中だけが全てではない」というものでしょう。
もっともらしい意見ですが、しかし私はこれを疑問に思います。
だって「じゃあアーチェリーのオリンピック選手は一流の弓道家より精神的に劣るのか」と聞かれたら、そうとは言い切れませんから。
実際に自分に当てはめてみて、皆さんはアーチェリーの愛好家より精神的、人格的に勝ってると思いますか?
「分からない」というのが多くの人の答えではないでしょうか。
だから『「的中率を追い求めること」が「精神の鍛錬を疎かにする」』という論理を私は理解できません。
むしろ的中率を追い求める過程で様々な試行錯誤や練習といった努力を重ね、それが結果として「精神の鍛錬」につながるのだと思います。
つまり精神の鍛錬は副産物であり、真の目標は「的中率」にあると思うのです。
私は今の弓道界を支配している「的中より精神」という論は、単なる言い訳だと思います。
「アーチェリーより的中率が低く、選手の精神、人格も実際はあまり差がない」のならば、弓道の存在価値とはいったい何なんでしょうか?
曖昧な精神論などではなく、技術において「弓道ならでは」というものを探求して欲しいものです。
結論として弓道界が目指すべきところは「極限まで的中率(精度)を追い求める」ことだと私は思います。
「アーチェリーより上を目指す」にしたいところですが、あくまで弓道は弓道ですから、その原型を留めるとなると自ずと限界も決まってきますからね。
まあ絶対に不可能だとは思いませんが。

と、長々と私の持論を語ってしまいましたが、皆さんの思う「弓道界の目指すべきところ」というのも聞いてみたいです。
是非お聞かせください。もちろん私に対する反論でも結構です。

2:前三さん
棒高跳びと高飛びの関係に似てるというか、和弓の道具として認められた道具を使用して、中を競うものと(本来は貫・中)と認識しています。
>むしろ的中率を追い求める過程で様々な試行錯誤や練習といった努力を重ね、それが結果として「精神の鍛錬」につながるのだと思います。
この意見に大賛成ですが、とすると現状ではオリンピックなどで厳しい競争にさらされているアーチェリーのほうが、上を行っているかもしれませんね。

3:遥頂さん
>KDDI-HI36 UP.Browser/6.2.0.10.4 (GUI) MMP/2.0
を使用してみえる「ロッキー」さん「カズ」さん「ラブフィスト」さんは同一人物のような印象を受けますねぇ…
と、こんな話はどうでも良いですが。

で、本題にかんしてですが、
非常に稚拙な考え方というか、子供っぽい考え方に思えるのは私だけでしょうか?
というのも、仰る意見自体は決して間違ってはいないとは思うのです。
決して、正しいと言うつもりもありませんが。

ただ、それは単にラブフィストさん個人の捉え方、考え方であって、
全日本弓道連盟は及び圧倒的多数の弓道指導者は対立的な考え方を有しているのです。

「長い物に巻かれろ」というつもりは有りませんが、
ルールを作れるのは、ルールを作るべき立場に上るだけの努力・経験を積んだ物だけです。
そうして作られた現行のルールには、各自意義を見出す努力をして、
そのルールに従うように努力するのが道理であり、
こういった一つの「コミュニティ」で活動する際の大前提です。

そのルールが気に入らなかったら、現行の決定権を持つ人たちよりも多くの努力・経験を以って、
とにかく現行のルール上で「ルールをいじれる立場」にまで昇らなければなりません。
それがコミュニティの最大の掟です。

>曖昧な精神論などではなく、技術において「弓道ならでは」というものを探求して欲しいものです。
などと、他人に自分の意見を積極的に影響させるのは、指導者になれてからの話です。
それまでは御自身の胸の内にしまっておくべきでしょう。

4:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
人それぞれ自分が目指すところがあると思うので、弓道界云々ではなく、自分自身が目標を定めてそこへ向けて修錬することが大切だと思います。
私としては、的中は、その目指すところにあるものの1つに過ぎません。

5:ラブフィストさん
遙頂さん
たしかに私はただの一弓道人でしかありませんから、ただの戯れ言に聞こえるかもしれません。
しかし、これを現実社会に置き換えてみて下さい。
政治家でない我々は、彼らの方針に盲目に従うしかないのでしょうか?
もちろんルールの中で限度もありますが、生き方を決めるのは個人の自由ですし、政治家も含めて様々な派閥があるものです。
弓道の世界においてもルールは守るべきものですが、その中でどのような思想を持ち、広めようとも、咎められるべきことではないはずでしょう。
それに「的中より精神」という論がマジョリティに支持されている現状は論理的におかしいですからね。
ルールを変える権利はないですが、意識を変える権利は誰にでもあるものです。

それからこれはとても個人的な意見ですが、私は日弓連の上層部の人間(全員ではないですが)に対してある種の「政治家」的イメージを抱いてるので、目指そうとは思いません。
というのも、私の知り合いに全国地区の大会で非常に優秀な成績を納めており、射、人格ともに申し分ない(であろう)方がいたのですが、彼は七段の昇段審査のときに教本の暗唱を促され、拒否したために落とされてしまったのです。
どうしても七段が取りたいということで、すぐ次の審査を受けたときには審査員に従い、無事に受かることが出来ました。
ちなみに二回とも彼は皆中しましたし、見ている分にはさして違いはありませんでした。
もちろん教本が原因とは限りませんが、他にある様々な嫌なエピソードから考えると、どうしてもそう思わざるを得ません。
もっと分かりやすい話だと、特に東日本で淘汰されつつある日置流の例が有名ですね。
どうも彼らの多くは「正誤に関わらず、自分が気に入らないことは認めない」体質が強いようです。
それ自体は人間として当たり前なのですが「正誤に関わらず」なのは問題でしょう。
ですから遙頂さんの言うように「ルールを決める立場になれ」というのはもっともなのですが、実力があるのに主義の違いから「なりたくてもなれない」人も大勢いるということは知って欲しいです。
上層部が全てを支配し、末端の人間は公に批判することがほとんどない(機会が与えられない)、これって戦前の日本の体質のようです。
他の業界では様々な連盟が乱立して争っているところもありますが、今の弓道界はメジャーな団体で統一されて「安定」しているのではなく、「支配」されているだけだと私は思います。

6:遥頂さん
盲目的にと言えば聞こえが悪いですが、確かにそのとおりです。
たとえ、高速道路で150km/hで走っても安全だとあなたが思っても、
実際に100km/hと制限速度が決められている限り、それに従うしかありません。

法を変えたければ、政界に入るしかないのです。
それが社会です。
政界に入る努力をせずして、法を変えよと叫ぶのは愚かしいことです。

>ルールを変える権利はないですが、意識を変える権利は誰にでもあるものです。
ですから個人で意識を変える分には問題は無いでしょう。
それをラブフィストさんのように他人に「こう思え」と言うのは、
指導者、政治家の決める「法」の範疇であって、
それを言いたければその地位の人間になる努力をせねばなりません。
それが例えあなたの目指す方向に無くともです。

7:二段離れさん
>「アーチェリーの的中率」を目指している人はほぼおらず、「種目が違うんだから目指す必要がない」と考える人がほとんどではないでしょうか。それは「武道」と「スポーツ」の違いがありますし、歴史も全く違いますから当然と言えば当然です。

その通りだと思います。アーチェリーにはアーチェリーの、ゴルフにはゴルフの、テニスならテニスの・・・同じ武道でも剣道なら剣道の、柔道なら柔道の・・・といった具合に、それぞれの競技方法がありルールがあるわけですから、同じ弓を使って矢を飛ばす競技でも、わざわざ同じフィールドで競うこともないんじゃないでしょうか?

>「弓道は武道であり精神を鍛えるものだから、的中だけが全てではない」

「的中だけが全てではない」というのは、決して「的中しなくてもよい」という意味ではないんじゃないでしょうか。
むしろ「的中した上で更に求められるものがある」という非常に厳しい条件だと思います。

これをクリアするのは並大抵の事ではありません。つまり「的中率を上げればよい」という意見こそ言い訳に思えるわけです。

吉見先生の射法訓で、「書に曰く」とありますが、この書とは「竹林派 四巻の書」といわれるものだそうです。その書によれば、「的中の位」と「離れの位」について五段階で書かれております。

すなわち「離れの位」の五段階では、「父母の位」「君臣の位」「師弟の位」「鉄石相克の位」「晴嵐老木の位」で、現役射士の離れについては、「鉄石相克の位」の離れを最上としております。

次に「的中の位」では、最初の筵の位から、布の位、絹の位、綾の位を経て、最後の錦の位として、縦横十文字の構成を織物に見立てて表現したもので、「錦の位」を最上としております。

結論として、「的中が全てではない」というのは「的中するだけでなく、正しい縦横十文字の規矩を守り、鋭い離れによる質の高い的中をめざしなさい」という事ではないでしょうか?

最も弓道とは自分の為だけに存在し、その信条や思想は人にとやかく言われる事ではなく、ましてや上の人に押し付けられるものではありません。

定年退職後、初めての趣味として始められる高齢者の方も私の道場にはいらっしゃいますし、そういう方は是が非でも的中したいなどと思いもせず、ただ皆と弓が引けることが楽しいという思いで弓を引く方もいらっしゃいます。それについて誰も否定できないのではないでしょうか?

ラブフィストさんにおかれましては、ご自身の確かな信念をお持ちで、そのことについて誰よりも努力を重ね探求されている方とお見受けいたしましたので、私個人の私見を参考までにと思い述べさせていただきました。

異なる意見に耳を傾けることは、新たな考えを生み出すかもしれないし、また今まで以上にご自身の信条を固めることになるかもしれません。いずれにせよ損はないと思います。

乱文失礼いたしました。

8:ラブフィストさん
いえいえ、私は何もルールを破れと言っているわけではないですし、考えを押し付けるつもりはありません。
ただ、私が疑問に思ったことを述べ、それに対する皆さんの考えを聞いて考えを深めてみたいだけです。
もちろん私の持論がマジョリティに受け入れられればそれに越したことはありませんが。
ただ「指導者でない者に意見を言う資格はない」とは私は思いません。
立場というのは単に意見を強めるためのものであり、意見を発する資格は誰にでもあります。
範士の方の意見と一般人の意見では説得力は全く違うと思いますが、必ずしも範士の意見が正しいとは思いません。
それに「方向性が違っても我慢して上を目指すべき」とは言いますが、弓道界ではこれは矛盾することだと思います。
日弓連はやたらと「人格形成」とやらを啓蒙しようとしているのに、その実、上層部に媚びを売らなければ上に立てないというのはおかしいでしょう。
とても信じがたいことでしょうが、日弓連と強い繋がりのある弓具店があり、そのメーカーの弓を使わないと審査に受からない、という話もあります。
会社において自分の意見を捨て、上司に胡麻をすって出世した者が「人格者」と呼べるのでしょうか?
「八方美人」というのは生き抜く上で必要なことですが、弓道界はその例外であるはずです。
そうでないならば「人格形成」などという形だけの名目は捨てるべきだと思います。
もちろん初めから上層部の方と意見が合う方々に対して「媚びを売っている」とは言いませんが、そうでない方、つまり対立する意見を持つ方々は、努力だけでは越えられない壁に悩まされているのです。

9:二段離れさん
>指導者でない者に意見を言う資格はないとは思わない

まったくその通りです。人が人である以上自分の意見は持っていいはずですし、義務と責任を果たすのであればそれを発言する権利を持っています。

>とても信じがたいことでしょうが、日弓連と強い繋がりのある弓具店があり、そのメーカーの弓を使わないと審査に受からない、という話もあります。

これが本当なら許されない事です。「真善美」の真もへったくれもありません。

確かにはじめから首をかしげる意見を押し付けられて、疑問を腹にためながらそれでも我慢して肩書きを取る必要はないですね。
それはとても腹に据えかねる思いをされてきた事をお察しします。

私はそういう意味では、先輩・先生方に恵まれているような気がします。意見どうこうより前に人格的にすばらしい人たちばかりでしたので、たとえ意見が違っても素直に聞くことができました。

称号者がかならずしも正しいわけでもないですし、日弓連のいう事は神の言葉というわけでもありません。
間違ったことは間違っているといえる環境作りも必要かもしれませんね。

10:ラブフィストさん
二段離れさん
皆さんの意見を読むうちに少し考えを改めたのですが、たしかに「弓道とアーチェリーは違う種目」という時点で、やはり分けて考えるべきかもしれないと思いました。
同じように弓矢を使う種目とはいえ、かなり方向性は違いますし、的を狙うという点においてさらに範囲を広げれば、しまいには「ライフル射撃より上を目指せ」なんてことになってしまうかもしれないですし^^;
そういう視点で考え直してみると、私が言いたかったことは「的中を重視しろ」ということよりも「人格やら精神やらをやたらと強調するな」ということだったのかもしれません。
私はスポーツと武道の違いは単に「意識」の違いだけで、結果として差はないと思っています。
「精神鍛錬」や「人格形成」というのは武道だけの特権ではありません。
結局、そのあたりの捉え方に私は多数派の意見との乖離があり、「アーチェリーより上を目指せ」という突飛な意見に行き着いてしまったのかもしれませんね。

11:紅一入さん
ラブフィストさん
 
 あなたの考えは私と同じです。
 その信念をもって大道を進まれ、常に9割以上の的中を維持して下さい。日弓連の地位などに関わりなくあなたの賛同者が増えてゆく事でしょう。是非(素直な意味で)頑張って下さい。私もがんばらないと・・

 ただ、あまり現在の小さな事象にこだわらないで欲しいと思います。あなた以外の方々もそれぞれに考えるでしょうから。

12:ラブフィストさん
紅一入さん
そうですね。
意見を言うことは誰にでも出来ますが、意見に賛同してもらうためには遥頂さんの仰るように、それなりの立場と実力を備えなければなりませんから。
日弓連での地位という意味だけに拘らず、自身の実力をもってして賛同者を得られるように精進したいと思います。
まず何より「的中を求めた結果として精神が鍛錬される」ということを、自身の人格と実力によって証明出来るようにならないと…。

13:二段離れさん
>的を狙うという点においてさらに範囲を広げれば、しまいには「ライフル射撃より上を目指せ」なんてことになってしまうかもしれないですし

それは気づきませんでしたが、言われてみればそうなるかもしれませんねww

>「人格やら精神やらをやたらと強調するな」

人格や精神で的中は得られません。的中しなくてもよいのなら的はいりません。大事なのは、的中する技術といかなる時も業を発揮できる精神力、そしてそれを多くの人に伝える事のできる人格。この三つを得る事こそ弓道を通して得ていかなければならないものだと思います。

>私はスポーツと武道の違いは単に「意識」の違いだけで、結果として差はない
>「精神鍛錬」や「人格形成」というのは武道だけの特権ではありません

その通りです。まったく同感です。それぞれにすばらしい技術と精神と人格を持った方がいらっしゃいますし、弓道は礼儀を重んじるのであれば、弓人としてそれぞれの歴史・経験・技術に対して敬意を払うべきだと思います。

この件に関してラブフィストさんと、いい意見交換ができたように思います^^

14:龍斎さん
興味深い意見の言い合いだと思います。

「日弓連の上に立ってから言うべきだし、上の人が言う意見に従うべき」

「そもそも今の日弓連という考え方がおかしい」
という感じですよね?


私もラブフィストさんの意見を応援します。


ただ、既に確立されている連盟社会で「どうやって意見を出せるか」というのが私は分かりません。

わたしの周りにも「連盟の考え方は気に食わないが、審査や試合に影響してしまう」というのみの理由で加盟している人が多々います。

前の例に文句が言えないなら、このような人達に「気に食わないなら辞めろ」「入ったなら従え」と安易に文句は言えないと思います。

弓道連盟はそのような形のままでいいのでしょうか?

15:初心者さん
>もっと分かりやすい話だと、特に東日本で淘汰されつつある日置流の例が有名ですね。

 よく知らないのですが,具体的にはどのようなことがあるのですか?

16:sainomiさん
非常に失礼な感想ですが,ラブフィストさんと二段離れさんの掛け合いに,なんとなく違和感を感じるのですが...
二段離れさんは,なぜそこまでラブフィストさんの気持ちや考えを受け入れられるのですか?

とくに,
******************
>>とても信じがたいことでしょうが、日弓連と強い繋がりのある弓具店があり、そのメーカーの弓を使わないと審査に受からない、という話もあります。

>これが本当なら許されない事です。「真善美」の真もへったくれもありません。

>確かにはじめから首をかしげる意見を押し付けられて、疑問を腹にためながらそれでも我慢して肩書きを取る必要はないですね。
>それはとても腹に据えかねる思いをされてきた事をお察しします。
*******************

この話自体が信じられないのです.どこの地連の話ですか?(少なくとも連合審査や中央審査ではあり得ないと思いますが.)
次に,この話を真にうけて「腹に据えかねる思いをされた」と察することは私にはできないのですが.

17:ラブフィストさん
初心者さん
それはもうそのまんまの話です。
高校弓道の大会で日置流の体配が禁止されたり、一般においても「いい加減正面に変えたら?」と言ってくる人がいたりと、どうも日置流を嫌う人間が多いようです。
嫌うだけならまだしも、大会の規則を変えてまで淘汰しようとするのはさすがに問題だと思います。
私は東日本に住んでいるので西日本のことは詳しく知らないのですが、西日本には比較的日置流の人が多いと知り合いから聞きました。
私は弓道界の全ての事情を把握しているわけではないので「それは違う」とか「さらに酷い話がある」という方は是非お聞かせ下さい。

18:ラブフィストさん
sainomiさん
二段離れさんがなぜ私の意見に好意的なのかは分かりませんが、弓の件は本当の話ですよ。
比較的有名な裏話かと思っていたのですが、そうでもないようですね。
私の知っているのは地元の地連の話ですが、それを暴露すると審査員の方々の名や私の身元(どうでもいいですが(笑))が割れかねませんので、控えさせて頂きます。
ですから疑われても仕方ないとは思いますが、少なくとも「そういう人もいる」ことは分かって欲しいですね。
こういう不条理は上に行けば行くほど感じるものだと思います。

19:射楽斎U ◆5aoi8gEMさん
>弓の件は本当の話ですよ。比較的有名な裏話かと思っていたのですが・・・
>とても信じがたいことでしょうが、日弓連と強い繋がりのある弓具店があり、そのメーカーの弓を使わないと審査に受からない、という話もあります。

私も、福岡を除いて約20年中央審査はほぼすべて見てきておりますが、その事実はありません。
もし、伝聞でなく事実であると言うのであれば、意図的な中傷といわざるを得ません。
多くの良識あるお仲間に誤解が流布されるのを、心から恐れます。

20:初心者さん
>高校弓道の大会で日置流の体配が禁止されたり、

 大会の進行を遅らせるような体配なら困るでしょうが,とくに問題がなければ多様性を認めてもいいように思います.
 ただし,高校生ならば,最初は教本どおりの体配を基本にしても良いでしょうし,日置流の淘汰と言うほどのことではないでしょう.

21:さぼてんさん
事実かわかりませんが、六段以上だったか教士以上は竹弓・竹矢でなければ受からない、という話を聞いたことがあります。
何故なんでしょう?
グラスやカーボンは竹に劣るのでしょうか?
私には理解できませんでした。

あと、初・弐段あたりの審査の筆記試験で『弓道とアーチェリーの違いは何か』という質問に対する模範解答が『弓道は武道であり精神を鍛えるものだが、アーチェリーは的当てゲームである』でした。
私はアーチェリーを経験したことはありませんが、これは明らかにアーチェリーを侮辱していると思います。弓道してる人もアーチェリーしてる人も、そんなに変わらないのではないでしょうか?

以上、ちょっと不条理に思ったことを書いてみました。

22:たぶんおやじさん
>教士以上は竹弓・竹矢でなければ受からない
もとい、使えですね。

伝統文化として指導者の心得として使いなさいということですよ。

決してカーボン弓の方が中て易いからとかじゃないと思う。

>・弐段あたりの審査の筆記試験で『弓道とアーチェリーの違いは何か』という質問に対する模範解答が『弓道は武道であり精神を鍛えるものだが、アーチェリーは的当てゲームである』でした。

自分達が優位であると思っている方々が居るのでしょう。
弓が上手ければ段は通りますが、知恵はついてこないのでしょう。

武道ならば武士の情けも欲しいですな。

23:マリオさん
ラブフィストさん
>だって「じゃあアーチェリーのオリンピック選手は一流の弓道家より精神的に劣るのか」と聞かれたら、そうとは言い切れませんから。

その通りです。
それどころか、武道もスポーツも何もやってなくたって、精神的、人格的に素晴らしい人間はいくらでもいます。
結局、精神などというのは武道だろうとスポーツだろうと勉強だろうと、どんな形であれ努力した結果として鍛錬されるものなのですよ。
私も以前から連盟がやたらと「精神鍛錬」という名目を掲げることに嫌気がさしていたので共感できますね。
本当に弓道(というか武道)を嗜む者達が他のスポーツマンや学者、あるいは一般人に比べて精神、人格ともに段違いに優れているならば考えを改めますけど。
「的中だけ考えろ」とか「人格はどうでもいい」とまでは言いませんが、やたらと強調するのはどうかと思います。

あと日置流に関してですが、私は高校時代から斜面で引いてきたのでまさに同じような経験をしたことがあります。
道場で「まだ日置流やってるの?」という差別的な発言をされたり、酷いときには審査委員の方に(審査時ではなく練習中ですが)、「君ねえ、残念だけどその射法じゃ頑張っても落ちるのがオチだよ」などと冗談まじりに言われたこともあります。
こんなんで「精神鍛錬」と言われましても…。

24:紫弓さん
>>高校弓道の大会で日置流の体配が禁止されたり
 この経緯を本当に知っていますか?
(この点は書き込みを、私の情報と同じか分かりませんから、控えたほうがいいでしょうが。)
 全日弓の体配は多岐に渡る流派の動作を揃える為に制定されたものです。
 仮に、礼射系で射付節持っているのに矢越されたら迷惑ですよね。
 そこら辺の対応が悪かった。(この点を本当に知っているのですか?私自身も当事者から数えて、孫引きの話なので真偽を疑問に感じていますよ。)

 書き込みを見ていると伝言ゲームに危惧を感じてます。人づてに聞き、疑問を持ち話したいのは分かりますが、配慮のある発言をお願いします。

25:遥頂さん
自分の意見に関して、少なからず誤解が有るような気がしましたので、
誤解を解く意味も含めて意見を述べます。

私は、上層部が指し示す物を全て正しいものとして捉えるべきと言っているのではありません。
個人的には高速道路の制限速度は120〜150km/hが良いと思っているし、
国民皆保険制度は問題点の方が多い為、任意化する方がメリットが多いと思っています。
同様に全日本弓道連盟に対しても個人的に「間違っている」と思う点は存在します。

その点に関して、何かしらの改善を求めた活動を行うのは必要だと思いますし、
そのような活動を元に改善が行われる事は重要な事だとは思います。

しかしながら、その経過においては現行の指針に従わねばならないのは当然の事なのです。
高速道路の制限速度は150km/hが妥当だと思っているからといって、
今、150km/hで高速道路を走れば許されませんし、
国民皆保険はナンセンスだ、任意化すべきだと思うからといって、
現行制度下で保険料の納付を行わないというのは、認められない行為である訳です。

高速道路の制限速度を150km/hに引き上げたければ、国民健康保険を任意化するべだと思えば、
それぞれの制度を改善することが可能な立場に付くか、
多くの人の賛同を得て運動を起こすか等ですが、
どちらにしろ現行制度を侵す、またそれを周囲の人間に勧める事は、
現代社会では間違いのない犯罪行為なのです。

そしてそれは弓道界でも同じであって、
徒に自身の意見や理論を前面に押し出して、
現行の指針に安易に反する事は、前述の行為に類する行為であると認識しなければなりません。

26:ラブフィストさん
私自身、少しまずい話をしてしまったかと思い、射楽斎Uさんに指摘された件を当事者の知人に確認してみました。

彼の話によると、若い頃(十数年前)に通っていた道場に自分の持っている弓の銘柄をやたらと薦めてくる人がおり、それが地方審査の審査委員だったとのことです。
彼も私と同じく頑固者でしたから、当然聞き入れるはずもありませんでした。
そしてその後に審査が行われたのですが、彼の道場から受けた数名の中では弓を買い替えなかった2人だけが落ちたというのです。
これは偶然のようにも思えますが、彼は当時から国体などで活躍している選手で、他の受かった射手が驚くほど予想外の結果だったと言います(とはいえ確実とは言い切れませんが)。
さらにその後、例の審査委員が地元の弓具店と密接な関わりがあり、その宣伝を請け負っているという噂が流れ、ますます疑惑を深めたそうです。
私自身が後から知った話だと、その審査委員は元から「問題児」ならぬ「問題爺」と呼ばれており、高校生が三段の審査を受けるときには「高校生のくせに生意気」などと言って問答無用で落としたりしていたようです。
結局、しばらくしてから無事に(?)審議会から降ろされたようですが。

これらは伝聞に伝聞を重ねた話ですから、信憑性が低い部分もあるかもしれませんが、私自身の経験としても地方審査で人格的に問題のあると思われる人が審査委員になってしまうことがありました。
ですから「日弓連の推奨する弓を使わなかったから落とされた」というのはかなり大げさでしたが、少なくとも地方審査では「審査委員に気に入られなければ落とされる」こともあるという不条理があるのは事実だと思います。

ただ、どちらにしろ詳しく確認もとらずに大げさな脚色を加えて語ってしまい、日弓連の名誉を著しく傷つけてしまったことは深くお詫び申し上げます。

27:マリオさん
紫弓さん>
勉強不足で詳しく知らないんですけど、全弓連と高校弓道では体配に関する規則が違うんでしょうか?
私の高校時代は武射系、礼射系に関して特に規則は無かったのですが、なぜか私の学校の引く「日置流印西派」の体配だけ「相手に威圧感を与えるから」という理由で禁止されてしまいました。
行射を行う上で特に迷惑になったり問題になることは無かったのに、いきなり一方的に禁止されてしまい不条理に感じたのを今でも覚えています。
ラブフィストさんの件は分かりませんが(ひょっとしたら同じ件かも)、これは私自身の経験なので100%事実ですよ。

28:元 ◆ntlC4wAIさん
>133
>全弓連と高校弓道では体配に関する規則が違うんでしょうか?
(概ね)違いません。
紫弓さんの言う『体配』というのは、入場から退場に至るまでの所謂間合いの事ではないでしょうか。

教本では正面打ち起こしを主体にしていますが、全弓連としては「正面、斜面、共に認める」という立場を取っています。
で、斜面で引くのは構わないのですが“正式に流派に入門”していないままに斜面で引いていると何かと言われやすいでしょうね。
日置流の引き方なのに日置流の教えを受けずに斜面で引いているわけですから。
高校の弓道部だったら斜面で指導はしても“入門”まではしていないのが大半ではないでしょうか?

>私の高校時代は武射系、礼射系に関して特に規則は無かったのですが、
う〜ん、引き方はみんなバラバラだったのですか?

>ラブフィストさん
>伝聞に伝聞を重ねた話ですから、信憑性が低い部分もある
>地方審査で人格的に問題のあると思われる人が審査委員に
>地方審査では「審査委員に気に入られなければ落とされる」こともある
不条理というか希に横柄なオジサンがいる事もあるでしょうが、僅かなレアケースに尾ひれを付けて問題を一般論化するのは頂けないですね。
それに人格やらなんやら、確かな根拠もなく相手を貶めるような発言を軽々しくしてはいけません。
少しキツ目に言いますが、このような事を繰り返していてはラブフィストさん自信に信頼を置かれなくなってしまいますよ。

29:ラブフィストさん
遥頂さん
あなたのおっしゃることは良く分かりますし、私自身今の立場より少しでも賛同者を得られるように日々精進したいと思っております。
ただ、当初の私の発言に問題があったとは思いません。
現実社会に置き換えるなら「150qで走れた方が良いよな」とか「年金制度って見直すべきだよな」というように、あくまで問題提起をしているだけのつもりですし、実際その域を出ているとは思いませんから。
これが「150qで走ろうぜ」、「年金払うの止めようぜ」と高圧的に持ちかけているならば咎められても仕方ないと思います。

元さん
たしかにこの件を一般論化するのは行き過ぎだったかもしれないと反省しております。
ただ、私自身や身近な方々は他にも様々な不条理を経験してきたので、レアケースと言えども見逃す訳にはいかない、とも考えているのです。
これらの話は何の問題もなく弓道を嗜んでいる方々にはピンと来ないでしょうし、ときに不快な思いをさせてしまうかもしれないということは心得ているつもりです。
ただ、実際に弓道界に負の側面がある以上、それを改善するためにも皆さんに知っていただくことが必要だと思い、書かせて頂きました。
どちらにしろこれからは信憑性の低い話題は謹むように気をつけます。

30:弓暦四年目四回生さん
初めまして、弓暦四年目四回生と申します。

本題に関したことではないので、少し失礼かとも思いますが、あえて指摘させてください。

>私自身が後から知った話だと、その審査委員は元から「問題児」ならぬ「問題爺」と呼ばれており、高校生が三段の審査を受けるときには「高校生のくせに生意気」などと言って問答無用で落としたりしていたようです。
結局、しばらくしてから無事に(?)審議会から降ろされたようですが。

この”伝聞”についてですが、「そもそも、審査委員に選ばれざるべき人間が、審査委員に選ばれるということが問題だ。」と考えるのは当然といえば当然かもしれません。
しかし、例えばこう考えることもできないでしょうか。「審査委員として相応しくないと考えられる人間には、連盟は審査委員を続けさせない。つまり連盟にはある程度の自浄作用がある。」
私が指摘したいのは、どちらの考え方も”伝聞”という情報を一面的にしかとらえていないということです。
連盟に否定的な見方をされる方であれば、前者の考え方を採用しやすくなりますでしょうし、また逆も然りだと思います。

> これらは伝聞に伝聞を重ねた話ですから、信憑性が低い部分もあるかもしれませんが、私自身の経験としても地方審査で人格的に問題のあると思われる人が審査委員になってしまうことがありました。
> ですから「日弓連の推奨する弓を使わなかったから落とされた」というのはかなり大げさでしたが、少なくとも地方審査では「審査委員に気に入られなければ落とされる」こともあるという不条理があるのは事実だと思います。

伝聞などの情報が間違いなく事実だとすれば、ラブフィストさんの指摘される問題も深刻さを増すでしょう。
しかし、この問題について論じる材料としてはあまりにも情報に信頼性がないと思います。
「日弓連の推奨する・・・」が「かなり大げさ」であったと認められていますが、更に言葉を付け足させていただくとすれば、論理が飛躍しています。
「審査委員に気に入られなければ落とされる」という考えについても、この論の裏づけとなる材料・証拠として、ここではラブフィストさんご自身の経験しか挙げられていません。
一人の人間の経験が一般論に結びつくとすれば、一般論が数限りなく存在することになってしまいます。経験は大事な判断材料です。ですから、他の方が経験されたことを広く知られてから答えを導かれても遅くはないと思います。

決してラブフィストさんの考えに対して否定的なわけではないのですが、一つ一つの事実からも色々な考え方ができるということを念頭に置けば、もっと柔軟な考え方もでき、結果ラブフィストさんの考えもより成熟したものとなると思います。

乱文失礼いたしました。
ご健闘をお祈りします。

31:弓暦四年目四回生さん
すみません、少し読み間違えてしまいました。
>「審査委員に気に入られなければ落とされる」という考えについても、この論の裏づけとなる材料・証拠として、ここではラブフィストさんご自身の経験しか挙げられていません。
この部分は撤回いたします。

「私自身の経験としても地方審査で人格的に問題のあると思われる人が審査委員になってしまうことがありました。」

「少なくとも地方審査では『審査委員に気に入られなければ落とされる』こともあるという不条理があるのは事実だと思います。」
を結びつけて考えてしまいました。

32:ラブフィストさん
いえいえ、たしかに私は経験上、日弓連に対してどうしても否定的な見方をしてしまいますし、少し視野が狭かったかなと反省しております。
あくまで私の近辺の実例だけですし、皆さんのご指摘を読むと、私の住む地方がたまたま恵まれていないだけなのかもしれないとも感じました。
もっと様々な意見や実例を聞いてから考えを深めたいと思います。

33:紅一入さん
日置流の話が出たので、
 
 「日置流を淘汰する動きがある」とは、私は思いません。ただ、日置流で引く人があまりにも少ないので、日置流の射法を知らないまま大会委員や審査員になってしまう方が多いのではないでしょうか。

 では、なぜ日置流で引く人が少ないのか?
 これは、日置流で教えている所が、ほんの一部の学校に限られているからです。一般の道場の初心者教室はすべて正面系(日弓連)ですから。
 
 考えてみると不思議ですね。何流だか解らない半端な射法を多くの人に教えて、その射法のまま高段者になる方がおられるという状況は、「ほんとに弓道かいな?」という疑問や、なにか巨大なガンに蝕まれているような気持ち悪さを感じます。小笠原流なら小笠原流、本田流なら本田流、日置流○○派なら日置流○○派とキッチリ分けて教えたり評価したりしないと、射法の理論(力学的なものも含め)も歴史も伝承もあったものではないでしょう。


元さん

 日置流で引く場合には入門しなければならないのでしょうか? 学校で習っただけであっても日置流○○派の理論と歴史と伝承に基づいて引いていれば、「日置流○○派」といってもいいのではないでしょうか。他流と較べてどうなのでしょう? 

34:龍斎さん
私の県のみの話かもしれませんが、以前「斜面で審査に来たって受からせないよ」と言われた方を見たことがあります。

いくら、教本が正面引きをメインに書いているとはいえ、少々侮辱が過ぎるのではないのでしょうか。



これは最早、人間的な問題かと思えます。

弓の件も私の県ではあるらしいです。


「それは本当の事なの?」
「そんな稀な人の話をされても」
と皆で責め合うよりも、
「そんな事が何故発生したのか?」
を考えていくのが例え低辺であろうとも会員である以上、考えなければいけないのではないでしょうか。

もし、それを発言できる地位にいなくても考える価値はあると思います。


私個人の曖昧な意見だと、昇段の仕組みを変えた方がいいのではないかと思います。

詳しくは知りませんが、そういう部分で日置流等の俗に言う「古流(気分を害された方には申し訳ありません)」の意見も取り入れていくべきだと思います。

35:紅一入さん
昇段の仕組み

 流派別になるといいですね。

 よけいな妄想ですが、年間の公式的中率(○割○分---切り捨て)が現在段位を下回ったら降段する制度があったらいいですね。みんな必死に稽古するでしょうし、「精神鍛錬」も切実なものになり、ひいては「人格形成」に寄与すると思います。

36:マリオさん
元さん>
>全弓連と高校弓道では体配に関する規則が違うんでしょうか?
>(概ね)違いません。

そうですか。
では単純に高校弓道の罰則が甘いということなのですかね。
間合いに関しては当然規則がありましたが
、武射系・礼射系は学校によってバラバラでしたし、混同しているところもありました。
また体配の練習不足で、座射になると試合であるにも関わらず「審査の間合い」で引く学校もありました。
しかしそれらは自己責任で、時間切れで退場になる以外は罰則はありませんでした。
また全国大会においても見受けられますが、間合いを無視して所謂「速攻」をかける学校もありました。
これらの学校に比べれば私たちの学校は体配の動きは少し特殊でしたが、普段から厳しく練習しており、決して試合の進行を妨げるようなものではありませんでした。
だから私たちの体配だけが「特例」としていきなり禁止にされて不条理に感じたのです。

>で、斜面で引くのは構わないのですが“正式に流派に入門”していないままに斜面で引いていると何かと言われやすいでしょうね。
日置流の引き方なのに日置流の教えを受けずに斜面で引いているわけですから。
高校の弓道部だったら斜面で指導はしても“入門”まではしていないのが大半ではないでしょうか?

顧問は流派に入門していたのですが、私たち教え子はしていません。
ただ、その考えだと「流派に入門していないのに正面で引いている人」も問題にすべきではないかと思います。
当時高校生だった私には理解できませんでしたが、未だに不愉快な思いをすることがありますから、どうも何か裏があったのではないかと疑ってしまうのです。

37:遥頂さん
「弓の件」に関してですが、
学術的な語を用いて評価するならば、
エビデンスレベルの極端に低いストーリーであり、
その論証もサブジェクティブな物であるため、
その存在そのものの時点から評価に値しない物として扱うべきでしょうね。

実際にそれを第一者として受けた者がここに居り、
それが客観性の高い物として残っているなら話は別ですが。

そのような物が残されていない限り、
「弓の件」は実在しなかった物である、という前提に基いて話を進めるべきです。

したがって、
>「そんな事が何故発生したのか?」
というのは、現時点では話すべき事項ではないでしょうね。
現在するべきは、「弓の件」が実在する事を客観的に証明する事です。

38:マリオさん
私も遥頂さんに対抗(?)して学術的な言葉を使わせてもらいます。
「悪魔の証明」という言葉があるのですが、これは「○○はある(積極的事実)」と「○○はない(消極的事実)」という意見に分かれたときに「ある」と主張する方が証明を行わなければならないという決まりを比喩したものです。
ですから今の場合はたしかにラブフィストさんが客観的な証明を行うべきです。

ただ、私は裁判の結果を見てたまに思うのですが、ほぼ100%クロ(だと思われる)にも関わらず状況証拠の不足などの理由で無罪になってしまうこともあり、非常に何とも言えない気持ちになることがあります(判決は絶対ですが)。
これは法律が全体的に被告側に有利になっているからなのですが、それは「冤罪」を防ぐためですから仕方ないことです。
ただ一方でそれは「罪を見逃す」ことにもなりえるのです。
ですから現状では法的に「ない」と認められることでも、「可能性」として少しは心に留めておく必要はあるように思います。
要は論理的なことばかりに囚われずに、少しは人間の機微というものを理解すべきではないか、ということです。
まあ私が似たような経験をしてきたので同情してしまっているだけかもしれませんが。

ただ、繰り返しますが、現状では「弓の件」が論理的に認められないのは仕方ないと思います。

39:ラブフィストさん
遥頂さん、マリオさん
ここでいう第一人者というのは私の親しい友人であり、「風の噂」ではなく本人から直接聞いた話ですから、この話の枠組みは事実です。
ただ、「審査委員の機嫌を損ねて落とされた」というのは、その審査委員の人格や過去の行いから総合的に判断したものとはいえ、主観的なものであることは否めません。
またそれを客観的に証明する術も持ち合わせておりません。
ですから私としては残念なことですが、この件が「なかったこと」として扱われても仕方ないと思っております。
私はこの件を真実だと自負しておりますが、現にこの程度の証明力で真実と認められてしまえば、嘘の情報であろうとも蔓延してしまいかねませんから。
ただマリオさんの言うように、論理や法を遵守した結果として、ときに「罪を逃す」ことが起こり得るということも肝に銘じて頂きたいです。

40:マリオさん
ラブフィストさん>
関係ない話題ですが…。
的顔が怒り顔になっていて話の内容と合ってない気がするのですが、あえてそうしているんですか?
もしそうでないなら、携帯から投稿する場合の曖昧な顔文字とパソコンの絵ではだいぶ違って見えるので気をつけたほうがいいですよ。
以上、失礼しました^^;

41:老年間近さん
>「問題児」ならぬ「問題爺」と呼ばれており

 いろいろな段階の幹部に「問題爺」や「問題婆」が結構いるのは確かです。本人がわからないうちに老化は進んでおり、言行に少し疑問を感じさせる人も出てきます。ところが、弓道界では年配者に遠慮しすぎる傾向があります。
 一度就任した幹部が長い間引退しないことにも大きな問題があります。会長が引退しないので、後輩が根負けして先に引退し、名誉副会長が何人もできたりします。70歳を越えたら、役職からは引退しましょう。勇姿は、射礼なり演武なりで披露する機会があります。
 
 ちょっと不用意な部分はあったかもしれませんが、真面目な問題提起のスレッドと受け止めています。論議を混乱させるためとしか思えないような発言には反応せずに先へ進みましょう。

42:ラブフィストさん
マリオさん
いや、私は反省しているように見える顔文字を使ったつもりなのですが、まさか怒り顔だったとは…。
以後気をつけます。

老年間近さん
私も同感です。
これは弓道に限ったことではありませんが「高齢者だから無条件で敬うべき」なのではなく「高齢者である分、自分より年相応の経験、人格を備えているから敬うべき」なのだと思います。
そうでない高齢者もいますし、逆に若い人にも立派な人はたくさんいますから。
そこで一つ思い出したのですが、一般的に高校生が三段を取るのよりも、社会人になってから三段を取る方が簡単だと言われています。
特にインターハイで活躍するような高校生の中には技術的にも精神的にも社会人に劣らない人もいますが、それでも三段に受かるケースは稀です(地方にもよりますが)。
年齢のために受験資格がないならまだしも、資格があるのに年齢によって難易度が変わってしまうのは不公平な気がしますが、皆さんはどう思いますか?

43:遥頂さん
繰り返すようですが、あなた一人が「事実だ」と叫んでも何も意味が有りません。
その程度の「証拠」で事実として扱えるのであれば、
ここで私が10でも20でも嘘をでっち上げられる事になってしまいますからね。

「私の30年来の弓友」が○○地区では普段の練習から竹弓じゃないと引かせて貰えないんだ、
って言ってました!

なんて第三者から見たら信用できる要素の欠片も有りませんよね。
それが今のあなたの発言です。

話の内容が真実性を帯びているかではなく、
今、問題提議をしようとする者は、周囲に対して、
その問題が真実である事を証明しなければならないのです。

例えば裁判を見れば解り易いのですが、
民事・刑事全ての裁判でこれは前提となるルールですが、
「原告には有罪を立証する義務が有り、被告には無罪を立証する義務は無い」
というものが有ります。
全ての事象は無罪である事を前提として扱い、
被告人は自身が無罪であることを証明する必要は有りません。

これは今回でも一緒です。
あなたの「告発」に対して、第三者たる我々がどのような扱いをすれば良いのか。
全ては「あなたが告発事象を立証出来ているのか」です。
そして現時点の情報でその立証能力は果てしなく0に近く、
このままではこの告発事象は無かった物として扱わざるを得ないというわけです。

信頼性・客観性の高い更なる証拠の提示をお願いすると同時に、
この件のみならず、問題を提議する際の最低限のルール位は知っておいて頂きたいですね。

44:前三さん
遥頂さん
弓の件は、もうよろしいんじゃないでしょうか?
ラブフィストさんも
>ですから私としては残念なことですが、この件が「なかったこと」として扱われても仕方ないと思っております。
私はこの件を真実だと自負しておりますが、現にこの程度の証明力で真実と認められてしまえば、嘘の情報であろうとも蔓延してしまいかねませんから。

と仰っておられるのですから・・。

意見があるのならば、「それなりの地位」になってからとの趣旨もわかりますが、ここは公式の場でもありませんし、「それなりの地位」でなくても、いい考え・アイディア・提言をされる方は多いと思います。皆同じ弓引きなのですから、地位・段位にかかわらず、不満の捌け口ではなく弓界にとって前向きで聞くべき意見なら議論する価値はあると思いますがいかがでしょうか。

45:マリオさん
>その程度の「証拠」で事実として扱えるのであれば、ここで私が10でも20でも嘘をでっち上げられる事になってしまいますからね。(43遥頂さん)
>私はこの件を真実だと自負しておりますが、現にこの程度の証明力で真実と認められてしまえば、嘘の情報であろうとも蔓延してしまいかねませんから。(39ラブフィストさん)

>「原告には有罪を立証する義務が有り、被告には無罪を立証する義務は無い」というものが有ります。(43遥頂さん)
>「悪魔の証明」という言葉があるのですが、これは「○○はある(積極的事実)」と「○○はない(消極的事実)」という意見に分かれたときに「ある」と主張する方が証明を行わなければならないという決まりを比喩したものです。(38私)

遥頂さん>
これって前に書き込まれたことと同じ意味の言葉を繰り返してるだけだと思うんですが。
反論したい気持ちは判りますが、一方通行ではなく他の人の書き込みをよく読んでから書き込むのもルールだと思いますよ。
私個人としては、
>論理や法を遵守した結果として、ときに「罪を逃す」ことが起こり得る
というところが一番重要だと思っています。
法(及びそれに基づいた論理)は「絶対」ですが「完璧」ではないですから。

46:龍斎さん
遥頂さん

流石に、論点のすれ違いが激しいかと思います。

問題を提起したいのであれば、先ず「どうしてその様な噂が広まっているのか」ではないでしょうか。

また、それらが真実かを問う為の場所ではないと自分は思っていますので・・
言葉は悪いのですが、少ししつこいかと思います。

ここは、裁判所ではなく議会であれば嬉しいです。



それで、最初の問題に戻りますが

「弓道界の目指すべきところ」

とは何なのでしょうね。


自分は段位に固執した連盟が、あくまでも技術・精神を求める様に変えていく必要があると思います。

今のままの曖昧な段位性・流派の混合がある状態では、段位は実力の基準にも成り難いはずです。

かなり基に文句があるのですが、私は「教本の射法制定」「斜面等の流派区別」を再考すべきだと思います。


でも、それをどういう風に意見を上げれるかが分かりませんが・・

47:マリオさん
龍斎さん>
>「どうしてその様な噂が広まっているのか」

私も論理的には遥頂さんの言うように事実を証明する必要があると思います。
しかし事実であるかわからないのに、実際に皆さんの反応を見ていると共感しているように見受けられる方々もいます(私も含めて)。
これって変ですよね。
「あきらかにおかしい話」なのに信じてしまう人がいるということは、やはり「それに近い経験」をされている方々が実際にいるということなのではないでしょうか。
「火の無いところに煙は立たない」
まさにそういうことだと思います。

48:弓暦四年目四回生さん
何か、本題から外れた揚げ足取りが議論を見えにくくしてしまっていますね。
このままでは、せっかく多くの人が参加されている議論も、建設的な議論に発展することが期待できないのでとても残念です。
ここでの議論が弓道界に与える影響は微々たる物かもしれませんが、それが今後の弓道界の発展に少しでも寄与できれば、この問題提起およびそれについての話し合いは意義あるものになると私は思います。

先の話の流れをとめるのは本意ではありませんが、ここで本題について建設的な話し合いをするために、話の筋道を見えやすくするために提案があるのですが、どうでしょうか。

提案:
 以下の展開を念頭において、各人議論する。
 1「私は、弓道または弓道界はこうあるべきと考える、またはこうあれば良いと考える。」
 2「先の私の考えに反して、現在の弓道または弓道界にはこのような問題があるのではないか。」
 3「先にあげた問題を裏付ける証拠としては、このような経験・事実がある。」
以上

スレッドタイトルは「弓道界の目指すべきところは?」ということですので、最初にまず1のように方向性を示したほうが他の参加者にとって親切だと思います。
2はあくまで各人の推論の域を出ないものもあるでしょう。
3についてはこういった掲示板においては、検証不可能なものがほとんどかも知れません。
しかし、同じような経験をした、あるいは類似の事例を知っている方にとっては一定の信頼を得られる判断材料となるかもしれません。ならない場合もあるでしょう。


> そのルールが気に入らなかったら、現行の決定権を持つ人たちよりも多くの努力・経験を以って、
> とにかく現行のルール上で「ルールをいじれる立場」にまで昇らなければなりません。
それがコミュニティの最大の掟です。

>>曖昧な精神論などではなく、技術において「弓道ならでは」というものを探求して欲しいものです。
> などと、他人に自分の意見を積極的に影響させるのは、指導者になれてからの話です。
> それまでは御自身の胸の内にしまっておくべきでしょう。

と述べられた遥頂さんにおかれましては、不本意かもしれませんが、コミュニティの構成員がそのコミュニティの将来について憂慮いし、改善する努力をするのは健全な行為だと考えますので、私はこの問題提起を支持させていただきます。

乱文失礼しました。

49:龍斎さん
マリオさん

私もその見解に同意です。

本来なら常識はずれの話を何故、共感してしまう様な人々がいるのか。

これは、デマ等に関わらず疑問の一つです。

個人の意見ですが事故例集の様に、変な言い方ですが不満集的なモノがあれば嬉しいです

50:sainomiさん
最初に弓の件に付いてツッコミを入れた者として最後に一言だけ.(展開が早くてついていけませんでした.)

「弓の件」ですが,もしそれが組織的に行われていたとしたらそれはもう不条理ではなくて不法行為じゃないですか?
そしてもしそれが事実であれば財団法人全日本弓道連盟は解散するしかなくなるんじゃないですか?
弓道界の目指すものうんぬんの前に,弓道界そのものがなくなってしまいますね.
連盟がそのようなリスクを冒すとはとうてい思えないのですが.

それから,「弓の件」と連盟を結びつけるような発言は,名誉毀損罪にあたりませんかね.
大丈夫ですか?

51:紫弓さん
>全弓連と高校弓道では体配に関する規則が違うんでしょうか?
>紫弓さんの言う『体配』というのは、入場から退場に至るまでの所謂間合いの事ではないでしょうか。
 
ご説明ありがとうございます。そうです、規則は殆ど変わりません。また、間合いのことですが、制定のものと違う動作が含まれると、困るということです。
 私が知っているのは、他の例のようですが、違う動作をされると周りが困ります。
弓道の調和の美を敢えて崩すことないでしょう。これは、場の指示をしなかった指導者の問題でもあるかと思います。
大分遅れてすみません。


 弓道では、真善美を最高目標としていますが、飛貫中にしなかったのは何故ですかね。敢えて、海外の思想を取り入れたことに意味があるように思えます。ただ、この目標は汎用性がやたらありますが、、。
 何でもありと言うわけではなく、規範の中での当為に近づける努力を、示唆したもののように思ってしまいます。

52:前三さん
紫弓さん
質問です。
>私が知っているのは、他の例のようですが、違う動作をされると周りが困ります。

これは、同一の立ちにいる一人または数人が、連盟制定の動作をしなかったということでしょうか?
たとえば、胴造りの仕方が違ったとか、とり矢をしたあと、胴造り・弦調べの調べをせずにそのまま取り懸けたとかですか?

それとも、一人または数人だけ的突き動作や、的割り動作をしたということですか?

53:元 ◆ntlC4wAIさん
>36:マリオさん
全日連の体配は「〜でなければならない」という規則ではなくて、「〜を持って執り行いましょう」という統一ルールです。微妙ですが、ニュアンスが違いますね。

>自己責任で、時間切れで退場になる以外は罰則はありませんでした。
>間合いを無視して所謂「速攻」をかける
良く解らないのですが、どんな状況ですか?

>私たちの学校は体配の動きは少し特殊でした
>私たちの体配だけが「特例」としていきなり禁止にされて
どんな体配をしていたのでしょう?『なんで自分たちだけ?』という気持ちも解らないでもないですが、
やはり公の大会では混乱を避けるために全弓連の定める体配があるわけですから、それこそ特殊な体配を「特例」で認める訳にいかない、またその許容範囲などの事情もあるのでしょう。

>「流派に入門していないのに正面で引いている人」も問題にすべきではないかと
流派に属さない人は全弓連の定める「射法八節」(正面打ち起こし)に乗っ取った稽古を行うので、全く問題ではありません。
広く普及している射法ですし。強いて言えば「全弓連流」です。

>紫弓さん
>真善美を最高目標としていますが、飛貫中にしなかったのは何故ですかね。
武徳会が出来たのが明治28年、武術衰退の中当時としては新時代に向けて早々に弓術の目的を見いだしたかったのでしょう。
当時の江戸生まれな人達には「飛貫中=敵を倒す=懐古主義」としか考えられなかったので、「真善美=精神修養=新しい」としてみたのだろうか?
と想像ですが思ってます。

54:ラブフィストさん
弓歴四年目四回生さん
私の不用意な発言によって論点が曖昧になってしまいましたが、軌道修正を図っていただいてありがとうございます。

私が弓道界に求めることはまずこのような議論の場を(公的に)作り、柔軟な対応をして欲しいということです。
今の弓道界の指針は「多数決によって採択されたもの」というより「先駆者によって採択され、それに従ったもの」という意味合いが強いと思います。
「先駆者が全て悪い」というつもりはありませんし、むしろその功績は偉大なものだと思いますが、その中に改善して欲しいものが含まれているのもまた事実です。
具体的に言えば先ほども取り上げた「年齢によって審査の難易度が変わる」例などです。
それらは立場によって意見が変わるものですから、この時点で「正誤」を論じるつもりはありませんし、多数決などによる議論の末に意見が棄却されたなら文句は言えません。
しかし、その場さえも与えられないのは問題だと思います。
他の業界の話を出すのもどうかとは思いますが、剣道界では機関誌に審査に対する苦情などが寄せられ、それを隠すことなく載せるそうです。
我々の安易な考えで歴史ある流れを変えるのは問題かもしれませんが、逆に安易な考えで昔からの流れにただ従うのもまた問題だと思います。
もっと「議論の場」が必要なのではないでしょうか。

55:龍斎さん
ラブフィストさん

素晴らしい意見だとは思いますが、やはりこの場留まりの会議になってしまうのが前年です。

そこでなのですが、そういう意見を自由に意見を言える雑誌等は弓道にはないのでしょうか?

自分も知らないのですが、最近発刊した年4回?の雑誌にはそういうのは無いのですか?

56:初心者さん
>武徳会が出来たのが明治28年、武術衰退の中当時としては新時代に向けて早々に弓術の目的を見いだしたかったのでしょう。

 よく知らないのですが,「真善美=精神修養=新しい」というスローガンは,この頃には弓道界でも既にできていたのですか?

57:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
>剣道界では機関誌に審査に対する苦情などが寄せられ、それを隠すことなく載せる

初めて伺いました。それは全日本剣道連盟の機関誌に、という事でしょうか?剣道日本などの雑誌に対する読者投稿、ではなく?

58:遥頂さん
>弓暦四年目四回生さん
また以前の発言の繰り返しだと気分を悪くされる方もいらっしゃるかもしれませんが…

私は、構成員それぞれがそれぞれに意見・改善案を持つ事は必要な事だと考えています。
ですので、その提案には反論したり不本意であったりする由も有りません。

ただ、この話が何か一方向の方針へと終結を見るような段階において、
この場での合意に至った事を背景に実行に移してしまうような人が現れる事を憂慮するのみです。

59:ラブフィストさん
すいません、機関誌という言葉と雑誌という言葉を混同してしまいました。
弓道界には今まで機関誌しかなかったようですから、つい同じ感覚で語ってしまいました。
私がいいたかったのは雑誌の方ですから、意味合いが違ってきますね。
剣道の機関誌の方は読んでないので分かりません。
弓道の新しい雑誌はまだ取り寄せていないのですが、そのような投稿欄があるのか気になりますね。

60:マリオさん
元さん>
>自己責任で、時間切れで退場になる以外は罰則はありませんでした。
>間合いを無視して所謂「速攻」をかける
>良く解らないのですが、どんな状況ですか?

時間切れというのは、試合開始から最後の射まで6分30秒以内に終わらなかった場合、それ以後の的中を認められないというものです。
速攻というのは団体戦における戦術の一つで、間合いを無視して(順番は守りますが)次々と矢を放ち、相手にプレッシャーをあたえるためのものです。
これらは定められた間合いを無視する行為ですが、進行上迷惑が無ければ黙認されます(ルールの範囲内ですから当前といえば当然ですが)。

>どんな体配をしていたのでしょう?
言葉で説明するのは難しいですが、射位に立つ際に弓を的に向けて突き出すような動きをするもので、それ以外は大きな違いはありません。
実際に見て比べれば分かると思いますが、私は時間切れや速攻のほうがよっぽど迷惑だと思います。

ただ、
>公の大会では混乱を避けるために全弓連の定める体配があるわけですから、それこそ特殊な体配を「特例」で認める訳にいかない
という視点は欠けていましたね。
「特例で禁止した」のではなく「特例で認めるわけにはいかなかった」のかもしれません。
でもテキトーな体配をしているわけではなく、流派の教えをきちんと守った体配ですから、練習不足でめちゃくちゃな体配を行っていたり、ルールの合間を縫おうとしているところに比べたら許されてもいいんじゃないか、と未だに少しひがんでしまいます^^;

sainomiさん>
連盟は間接的に関わっているだけで、どちらかというと個人間のトラブルだったようです(真偽は不明ですが)。
たしかにこのスレッドは展開が速いですが、今までの書き込みを読み返して頂けたら幸いですね。

61:老年間近さん
>民事・刑事全ての裁判でこれは前提となるルールですが、
>「原告には有罪を立証する義務が有り、被告には無罪を立証する義務は無い」
というものが有ります。
>全ての事象は無罪である事を前提として扱い、
>被告人は自身が無罪であることを証明する必要は有りません。

 自分がよくわかっていない未消化の専門用語を多用して議論を混乱させるのはやめましょう。

 たとえば,「原告」と「被告」は民事訴訟の用語,「被告人」は刑事訴訟の用語です。上の文章は,民事と刑事の用語が入り混じった珍妙なものです。

62:前三さん
教本では、
「流派を異にする多人数が同時に射礼を行う場合に、各自それぞれの流派を固執し、独自の射礼を行ったのでは、儀礼の本旨に反することおびただしい」
とあり
今の教本では削除されているようですが、改定前の教本では、
「しかし、一人で射礼を行う場合は、本書によるもよし、また各自が習得した流派の射礼・体配によるもよい」

とありますから、チーム全員が同一の体配または射礼を行う場合は、教本の射礼ではなくてもよいと思いますが、高校の試合では一歩進めた?ルールを敷いてあるわけですね?

63:元 ◆ntlC4wAIさん
>初心者さん
スローガンというか「目標」です。
江戸時代まではお国を守るという大義名分の元、武士達は武芸に勤しんでいたのですが、明治以降は幕府もろとも武術の大義名分も消滅してしまった訳です。で、武術存続の為に時の代表者が集まり話し合って、弓術の場合は射法統一と先の大義名分に変わる最高目標が定められた訳です。精神鍛錬だとか健康体育だとか目的はいろいろありますが、そのうち最高目標として『真善美』を決めたのですね。曖昧ですよね。だから色々と議論が耐えない訳です。

>マリオさん
>時間切れ
う〜ん、そういう場合はあらかじめ打ち起こしのタイミングを早めるようアナウンスするものだと思ってましたが…なるほど。

>射位に立つ際に弓を的に向けて突き出すような動きをする
それは竹林流に見られる足踏みですね。顧問の先生も日置流竹林派なのでしょうか?蒸し返すようですがそれで「禁止」されるのはちょっと?という感じです。むしろ
>次々と矢を放ち、相手にプレッシャーをあたえる
大会の場が違うのでしょうが、こっちを禁止すべきでしょうね。

64:遥頂さん
ご指摘の点に関しては専門ではありませんので、
語句の細かい定義まで配慮が及んでおりません事、御容赦ください。

細かい語句の意味に関しては、皆様の及ぶ範囲で或る程度の理解をお願いします。

65:老年間近さん
>一般的に高校生が三段を取るのよりも、社会人になってから三段を取る方が簡単だと言われています。
>それでも三段に受かるケースは稀です(地方にもよりますが)。
>年齢のために受験資格がないならまだしも、資格があるのに年齢によって難易度が変わってしまうのは不公平な気がしますが、皆さんはどう思いますか?

 剣道でも,恣意的な審査と言われかねない状況が問題になり,審査基準や受審資格を明解な方向に改善した経緯があります。

 これは,弓道界でも,参考になるかと思います。

 たとえば,剣道の2〜7段では,N段を受けるには(N-1)段受有後に(N-1)年以上の修行が必要です。3段ならば,2段受有後2年以上の修行が必要となります。順調に昇段する人たちには,最少年齢として定められている46歳で8段になる場合も結構あります。

 ただし,年配になってから始める人もいますから,高年齢者への特例措置はいろいろ設けられています。

66:龍斎さん
遥頂さん

皆様の意見の後々の危惧までして下さり有難う御座います。
是非、違う場での御講義をお勧めします。





制定の体配を決めた際に日置や小笠原の人も参加した上で決めたと聞いております。
各流派では、それを承認しているのではないのですか?

もし、そうであれば制定の射礼をせざるを得ない気もするおですが・・・

67:前三さん
>次々と矢を放ち、相手にプレッシャーをあたえる
この場合、弦音打起しの原則は守られているのですか?守られているのなら、団体戦であれば、戦術として認められてもいいと思います。先に行射を終えたチームが有利というデータもあるようですし。

財団法人 全国高等学校体育連盟弓道専門部 の競技規則http://www.kyudo-zenkoku.jp/kisoku01.htmおよび教本を読み返しましたが、チームが同一の体配をするのであれば、それが連盟が制定した体配でなくても禁止をする規定はないと思いますが、実際に現場で禁止されているのであれば、暗黙の申し合わせ事項ということですか?


元さん
マリオさんは、日置流印西派と思います。印西派にも的突きがあります。

68:老年間近さん

>語句の細かい定義まで配慮が及んでおりません
>細かい語句の意味に関しては、皆様の及ぶ範囲で或る程度の理解をお願いします。

 弓道以外の専門用語・学術用語について,このようなことを座談会の参加者に求めるような文章を多用することは,投稿の場ではマナー違反でしょう。

69:紫弓さん
>>同一の立ちにいる一人または数人が、連盟制定の動作をしなかったということでしょうか?
 そうですね。詳細は前にも書き込んだ通りなので分かりかねるところがあります。ただ。ある特定の集団が違う動作を行ったと事を聞いています。

 時間について個人的に思うところを少し。たとえば、会30秒と時間的に長いの人がいたら、その人を落ちに持っていけませんよね。そうするとその人を前にして、時間差を作らざるを得なくなってしますこともあるでしょう。それと違った意図として行われるのは疑問を感じます。


 真善美のスローガンなぞ、初めて拝見しました。この関係は、昭和初期辺りから、京大あたりから広がりを見せています。弓道では、2,3人広げた人を思いつきますが、全部既に伝聞やらの2次資料になってしまいます。ちなみに私の知る限り、、真善美が弓道書でお目見えしたのは、土屋先生の弓道上達法だったかと思います。
 この理論は普通なのに普通じゃない理論ですね。曖昧にしない為の努力をしなさいなという見方です。裏の考えもありますが、機会があればと言うことにしておきましょう。

70:前三さん
>>同一の立ちにいる一人または数人が、連盟制定の動作をしなかったということでしょうか?
 >そうですね。詳細は前にも書き込んだ通りなので分かりかねるところがあります。ただ。ある特定の集団が違う動作を行ったと事を聞いています。

特定の集団ということであれば、その集団の立ち全体が違う動作を行ったという可能性が高いですよね。であれば、67に書いたとおり禁止する根拠はないと思います。

龍斎さん
>制定の体配を決めた際に日置や小笠原の人も参加した上で決めたと聞いております。
各流派では、それを承認しているのではないのですか?

>もし、そうであれば制定の射礼をせざるを得ない気もするおですが・・・

再引用しますが、教本には
「流派を異にする多人数が同時に射礼を行う場合に、各自それぞれの流派を固執し、独自の射礼を行ったのでは、儀礼の本旨に反することおびただしい」
とありますので、同時に射礼を行う人たちが流派を同一とする場合は、連盟制定の射礼でなくてもよいと思いますがどうなんでしょう?

71:遥頂さん
>前三さん
私は、尾州竹林流の射法を学ばせて頂いておりますので、
先に話題に上りました「中墨の準」を射位に入る際には取るような教えを受けております。
ただ、試合等ではそのような訳にはいかない事も多い訳です。
それはやはり教本の文章にあるような「儀礼の主旨に反する」という概念による物でしょう。

という事から個人的には、仰るような流派が同一である件に関しては、
そういった場合はその場に居合わせる人の調和具合で考えるのが良いと思っています。
結局、最終的な判断基準は「その体配を見て首をひねる人が場に居合わせているか」
ではないか、そういう人がいればそのような体配は避けるのが「和」であって、
「和」が「儀礼」の重要な一側面を為している、そう考える事が可能ではないでしょうか?

72:紫弓さん
>>その集団の立ち全体が違う動作を行ったという可能性が高いですよね。
 それが、実は違うんです。他の人と混ざったときにもやってしまった様なのです。強いては、審査でも。
 だから、それを是正しなかった指導者に問題ありではと書いたのです。
 とりあえずここら辺でご勘弁くださいね。
 

73:前三さん
紫弓さん
教えていただいてありがとうございます。混ざったときにやってしまったら、まづいかもですね。どの辺りまで許容して欲しいかは、また別の意見もあるのですが、違う話題になりそうなので、この件に関しては了解できました。

遥頂さん
>結局、最終的な判断基準は「その体配を見て首をひねる人が場に居合わせているか」
なるほど、そのような考え方もあるんですね。和を考えて自主規制ですか。個人的には色んな体配のチームがあった方が、言葉は変ですが、楽しいと思うんですけどね。

74:紅一入さん
どうも皆さんは、話の軽重がごっちゃになっているように思います。

 体配の件・・・その場だけあわせればいいだけの話・・・些細なこと

 「斜面では審査に受からない・・等」の件・・・本人にはどうしようもない話・・・重大なこと

 特定の弓の件・・・不正行為・・・論外

なのではないでしょうか。

75:前三さん
紅一入さん
僕は、
>「斜面では審査に受からない・・等」

が万が一事実ならば、体配の件はそれにつながる重要なことと認識しています。
しかし、本当にそのようなことがあるのですか?個人的感情で嫌味を言う方くらいは、おられそうな気もしますが、あからさまにそのようなことをすれば大問題になっているような気もしますが、、。

体配について言えば、射位で立ち上がるから先は、行射の動きに入るので、弦の持ち位置とか、胴作りとか、とり矢後の動きとか規制がはずれればいいと思います。重大な場面になるほど、その場で合わせればいいというものでもないと思います。最近は、イチローの打席での行動などでルーティーンという概念も一般化されてますので、僕がいいたいことは判っていただけると思うのですが、どうでしょう?基本的に、技術に関するところに規制が入るのはどうかな?と思います。

審査について言えば、各段位を受検の際に所属支部の例会成績を支部長押印の上提出とか例会にどうしても参加できない方は別途支部長乃至は支部幹部立会いのもとでの成績を提出のこと、のような規定にすれば、ほぼ実力どおりの段級位を得られると思いますし、支部の活性化にもつながると思いますがいかがでしょうか?

76:紅一入さん
前三さん

 >「斜面では審査に受からない・・等」

 前に書き込みがあったので、事実ならば重大かな、と思ったわけです。私自身は審査を受けてないので解りません。ただ、今後公の(他流の方々の)前でも恥ずかしくない自信を持てれば受けたいな、と思っていますので、興味はあります。
 伝聞ですが、審査員の個人意見(好き嫌い)が反映し過ぎているようですね。教本にも正面・斜面どちらも載っていて、斜面があるのは常識なのに、ご存じない審査員が多いのではないでしょうか。審査員の講習会や審査の監査員などの制度を取り入れて全国平準化するなどの方法はいかがでしょう。

 体配の件

 「基本的に体配は失礼にならないことが肝要で、体配が射に勝っては恥ずかしい。」と教えられていましたので、些細なことかな、と思いました。現在は一般道場で引いていますので周りにあわせていますが、特に苦にはなっていません。
 前三さんのおっしゃるように、立ち上がるから先が自然にできるようになればいいですね。

77:マリオさん
前三さん>67
>チームが同一の体配をするのであれば、それが連盟が制定した体配でなくても禁止をする規定はないと思いますが、実際に現場で禁止されているのであれば、暗黙の申し合わせ事項ということですか?
私の高校時代の県総体では実際に禁止されましたから、大会側が規則を破ったということなんでしょうかね…。
ちなみに私はおっしゃる通り日置流印西派(入門してないので微妙ですが)です。

遥頂さん>71
>最終的な判断基準は「その体配を見て首をひねる人が場に居合わせているか」ではないか、そういう人がいればそのような体配は避けるのが「和」であって、「和」が「儀礼」の重要な一側面を為している
たしかにその場の調和を乱すことは良くないですからその考え方は正しいと思います。
ただそもそも「体配を見て首をひねる人」がいて、それが公に認められていること自体が問題なのではないでしょうか。
それって「自分達の流派以外は認めない」ということですよね。
嫌がっている人に自分の流派を押しつけるのは良くないですが、「嫌がっている人」自身もまた自分の流派を相手に押し付けていると言えるのではないでしょうか。
自分の流派だけを認めたい気持ちは分かりますが、他者を受け入れられる技量を持つ人が真の「人格者」なのだと思います。

皆さんの意見を読んでいると、全弓連そのものが悪い方向に働いているわけではなく、その規則が曖昧すぎるために、各々が勝手な解釈をしてトラブルを起こしている例があるようですね(私も勝手な解釈をしてますが)。
規則というものは厳密にするほど反対されるものなので曖昧なくらいが丁度いいんですが、弓道の場合は曖昧過ぎることが問題のように思います。

78:初心者さん
 全体をまとめたい御様子ですが,もう少し慎重な態度で,実態を確認して,書き込まれたらいかがでしょうか.

>教本にも正面・斜面どちらも載っていて、斜面があるのは常識なのに、ご存じない審査員が多いのではないでしょうか。

 斜面打起しがあることを知らないようなレベルの人が,審査員を委嘱されるのでしょうか?

>審査員の講習会や審査の監査員などの制度を取り入れて全国平準化するなどの方法はいかがでしょう。

 平準化の努力は,されているようです.審査員になるような方は,伝達講習会やら,指導者講習会やら,体配等に関連する色々なレベルの講習会に忙しい中でも出かけているようです.

>前に書き込みがあったので、事実ならば重大かな、と思ったわけです。私自身は審査を受けてないので解りません。
>伝聞ですが、審査員の個人意見(好き嫌い)が反映し過ぎているようですね

 事実かどうか確認しておらず,自らは受審した経験すらなく,実態を知らない人が,なぜ,このようなことを書くのでしょう?

79:紅一入さん
初心者さん

 説明不足で申し訳ないです。私が「ご存じない」と書いたのは、斜面の「あること」ではなく、様々な斜面の「射法の内容」のことです。
 例えば日置流印西派といっても、他のスレッドにもあるように残身の形だけとってもいくつかの形があります。審査員の方が「日置流印西派○○系ならばこうなる筈だがこの受審者はどうだろう」と理解して審査していただけているのか、いただけていないならば何か方法はないだろうか、という意見です。


 >平準化の努力は,されているようです.

 効果はどうなのでしょう。審査員個々人の方の努力には敬意を表しますが、他の方の書込みにあるように受審者の方が公平感を感じていないのであれば、制度的に見直す必要があるのではないか、という意見です。
 

 >事実かどうか確認しておらず,自らは受審した経験すらなく,実態を知らない人が,なぜ,このようなことを書くのでしょう?

 書いたとおり、「事実ならば重大」だからです。もし事実ならば、斜面で努力している人はどうすればいいのですか。
 
 このスレッドの題は「弓道界の目指すべきところ」なので、そのひとつとして「誰から見ても公平な審査制度」を考えようと提案したまでです。重要なのは「事実のあるなし」ではなく、事実の起こらないような「やり方」を考えること、だと思います。

80:生涯初心者さん
未熟者ながら失礼します。

結局のところ、審査で取得できる段位は全日本弓道連盟が認定したものですよね。
なので審査されるのは、全弓連が考える射・体配ができているかが審査されるのであって、各流派のそれができているかでないことは明らかです。

なので斜面では受からないというのは問題ですが、体配等が異なれば受からないのは当然です。

言わば、アメリカで弁護士資格を取ったからといっても日本の弁護士としては認められないのと同じです。

なので日置だけではなく小笠原の方も地連の例会等では小笠原ではなく全弓連の体配でなさってます。

全弓連のそれが最高のものと言いたい訳ではありませんよ。私自身は流派に心惹かれますし、学びたいと思ってます。
また私の周りには日置や小笠原の考えでやりたいからと、師範クラスでありながら無段という方もいらっしゃいます。

81:紅一入さん
生涯初心者さん

 流派の方も審査を受けるときは、日弓連の体配で受けていますよ。その場に応じた体配をするのは、ある意味当たり前ですし、努力すれば可能です。
 ここで問題となっているのは、射のことです。以前の書込みで「斜面だと受からないよ」といわれた話や「私は斜面を受からせない」と公言された審査員の話(事実かどうかはここでは論じません)のような場合、本人にはどうしようもないですよね。だから、誰から見ても公平に見える制度になるといいな、という話です。

82:初心者さん

>重要なのは「事実のあるなし」ではなく、事実の起こらないような「やり方」を考えること、だと思います。

 該当する事実がないのに,その対策を考えましょう,ということですか? 将来像を考えることが目的にしても,非現実的です.現状を把握していないままで,将来像が描けますか?
 まず,重要なのは,そういう事実があるかどうかです.斜面に関する今までの書き込みを読んだところでは,審査で不当な差別を受けたというほどの問題はなく,道場で揶揄されたという程度の話題しかないようです.
 伝聞情報を拡大するのは無用の混乱を招くだけです.

83:ラブフィストさん
混乱を招いた私がこんなことを書くのは気が引けますが…。

先の件で強く実感しましたが、ネット上で不正事実の証明をするのは不可能だと思います。
むしろ現実においても、「審査委員の個人的嗜好」と「審査の結果」の関連性を証明するのは不可能でしょう(内部告発などを除けば)。
それはつまり、「仮に」なんらかの不正事実があろうとも、それは全て「なかったこと」にされてしまうということにもなります。
それは前にも述べられたように冤罪防止のためですから仕方ありません。
ただ、「絶対に事実でない」ことと「事実かどうか分からない」ことの区別はすべきだと思います。
「絶対に事実でない」というのは例えば「全弓連が弓術を殺人術として研究している」などのぶっ飛んだ話です。
これについては真面目に捉える必要はないでしょう。
一方で「事実かどうか分からない」というのは、そこに少なからず起こりうる可能性が含まれているということです。
であるならば、その件自体が事実であるかどうかは別として、「今後そのようなことが実際に起きないように」という視点で、システムの改善を検討すべきではないでしょうか。

84:紅一入さん
初心者さん

 現在公平でないと感じている方が少なからずいるのであれば、誰が見ても公平な制度を考えよう、という事は、無用の混乱なのでしょうか?

 ただ、申し訳ないのですが、私の趣旨として審査の話題は、特定の弓具店や体配禁止の件で皆さんが不毛の議論をされているのを軌道修正して「弓道界の目指すところ」を議論して欲しいために重要度を比べたひとつであって、私自身審査については興味はありますが材料がなくあまり得意な話題ではありません。
 「誰が見ても公平な審査制度」は強く望みますが、それを考えるには私は適任ではありません。初心者さんは審査について詳しそうなので、是非具体的な案を考えていただいて、皆さんで話し合いたいと思いますがいかがでしょう。

85:遥頂さん
>現在公平でないと感じている方が少なからずいるのであれば

同様に、公平である、そのような事実はないと考えている人も少なからず居るわけで、
そのような場合は無い物として考えるべきであるという事でしょうね。

また、それ以前に、こういうのを俗に欠席裁判と言い、
本人不在のまま、本人による意見陳述を認めないまま議論をする、
更には、事例が「有った事」として有罪前提の如く議論を進めるのは間違いです。

86:Your Fightさん
てことは、「斜面で審査に来たって受からせないよ」と言っていたと聞いている人がいるので、
その審査員はそれを本当に実行したかどうかはともかくとして、「純粋に性格が悪い人」だったってことですか?

まぁ、「そもそもそれを聞いたのが事実かどうかが分からない」って言う程拗ねてはいないですもんね。

じゃないと、斜面の方は「被害意識」が酷いか「嘘吐き」って事にもなりますね(苦)

正面の人が「斜面を受からせないのどうとか」なんて、普通自分に関係のないデマはつきませんし

87:ラブフィストさん
遥頂さん
審査における因果関係を証明するのはほぼ不可能ですから、ただの裁判所に忠実に例えるのはどうかと思います。
あえて例えるならばそれは「絶対に有罪判決の出ない裁判所」でしょう(何度も言いますが論理的には仕方のないことです)。

ある事例を防止するために議論をする場合には、「事が起きてからでは遅い」という意見と「事が起きてから考えるべき」という意見に必ず別れます。
これはこの場にも当てはまりますが、仮に「事が起きた」としても必ず棄却されてしまうのであれば、永遠に規則を変えて防止することが出来ません。
であれば、「事が起きたかどうか」ではなく「事が起きる可能性」を軸にして考えるのが賢明なのではないでしょうか。
論理的にはそちら(反対派)が無実を証明する必要はありませんが、本当に100%「全ての審査委員は公平である」と言い切れますか?
もし1%でも迷いがあるのであれば、システム改善の議論くらいは認めてもいいのではないでしょうか。

88:たぶんおやじさん
>「斜面では審査に受からない・・」

斜面打越しの範士は居ないのでしょうか?

私の知る限り結構居るのですが・・・

89:龍斎さん
 たぶんおやじさん

あくまで一例ですが、私の県には日置系の人がかなり少なく私の知っている範士は皆さん正面系です。(小笠原等かまでは分かりません。)

私の県は「○○県の道場では斜面引きをした瞬間から嫌な目で見られる」という噂?があります。
なので、私が県内で見た斜面の方はみんな転勤や、以前学生で引いてた方のみだと思います。

90:初心者さん

>現在公平でないと感じている方が少なからずいるのであれば、誰が見ても公平な制度を考えよう、という事は、無用の混乱なのでしょうか?

 事実として明確になったことと自分の意見とは,峻別していただかないと,文章の意味がわからなくなります.
 私が指摘したのは,「(斜面系の人には)現在公平でないと感じている方が少なからずいる」ということが事実として明確にならないと,議論は始まらないということです.前提がはっきりしないのに,それについて将来の議論をしましょう,というのは「無用の混乱」につながりませんか?
 
>「誰が見ても公平な審査制度」は強く望みますが、それを考えるには私は適任ではありません。初心者さんは審査について詳しそうなので、是非具体的な案を考えていただいて、皆さんで話し合いたいと思いますがいかがでしょう。

 論議の経過を勘違いしていませんか.問題提起した本人が,その前提がおかしいと批判している相手に,当人の代わりにその解決の具体案を考えろ,と言うのですか.主体となるのは,「現在公平でないと感じている方」です.私がその一人でないのは,今までの経過からすれば,ご存知でしょう.
 
 

91:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
東京には浦上先生という斜面の大家もいらっしゃるのですから、関東周辺での斜面迫害のお話はにわかには信じがたい、というのが偽らざる感想です。

本県の場合、正面と斜面の割合は高校で7対3、大学で9対1といったところです。しかし、斜面の方々が邪険にされているという話は聞きません。それどころか、数年前正面から斜面に変えた学校が力をつけて、今では県内有数の強豪校になっています。所によって、状況がかなり異なるのでしょうか?

92:尺二さん
審査は複数の審査員による得票制だったと記憶しているのですが、
この得票制が「全ての審査委員は公平である」と言い切れないため、
「事が起きる可能性」を考慮して採用されたシステムなのではないでしょうか。
仮に偏った考えの方が審査員の一人になったとしても、ほかの審査員から認められれば合格することができるはずです。

あと皆様にお願いなのですが例を挙げる際、日弓連の問題なのか、地連なのか支部なのか特定の個人の問題なのか
出来る限りわかるようにしていただけると助かります。問題の規模がわかりません。
日弓連の問題を弓道界として挙げるならわかりますが、ある個人の発言を弓道界の意見として問題提起されても困ります。

93:マリオさん
初心者さん>
「防止策」ではなく「予防策」と考えれば、「事例の真偽」にこだわる必要はなくなるのではないかと思います。
例えば先の件に関しても「こういう話があるから改善して欲しい」という言い方だと「まず事実を証明しろ」と言わざるを得ませんが、「今の規則だと万が一こういうことが起こる可能性もあるし、もしそうなったときに防ぐことは出来るのか」という視点で考えれば、「事実の真偽」に関係なく議論できるのではないでしょうか。

尺二さん>
たしかにそうなのですが、やはり不公平な審査委員が一人でもいるとその分受かるのは難しくなりますし、その影響は高段になるほど顕著なようです。
調べたところ、例えば五段の審査の場合、審査委員は5名以上で、行射の支持率7割(四捨五入)で合格候補になるようです。
つまりもし審査委員が5名ならば、そのうち4名以上に認められなければ通過できないのです。
ここで一人でも不公平な審査委員がいれば通過が格段に難しくなるのは言うまでもありません。
また、当然段が上がるほどさらに条件は厳しくなります。
(※これはあくまで審査委員が5名の場合であり、またさらに高段となると中央審査で審査委員の選出にも細心の注意を払っているでしょうから、あくまで「仮定」として考えてください。)

ですから、不公平な人間を審査委員にしないようにする必要があるのです。
が、流石にそれは無理だと思います。
何をもって不公平とするかが難しいところですし、審査委員もまた一人の人間ですから。
そこで私なりに考えさせていただいた(安易な)解決案が二つあります。

まず一つは単純に「審査委員を増やす」ことです。
これは現在平均してどれくらいの人数で審査しているのか知らないので具体的な数字は言えないですが、最低5名というのは少ないと思います。
高段になると一票の価値がとても重要になりますから。
ただ審査委員を増やすほど「ふさわしくない人」も増えてしまうので難しいところですね。

それともうひとつの解決案は「審査の結果を詳しく公表すること」です。
これも私は詳しく知らないのですが、高段者の審査の場合も結果だけが知らされるのでしょうか?
もしそうであれば、審査の細かな採点やその理由を明確に受審者に伝えたほうが公平な審査になるのではないかと思います。
「どんな結果でも受け止める」という人や「自分の力で欠点を克服したい」という人もいるでしょうから、希望者だけに開示という形になればいいですね。

まあこれらは審査経験の乏しい私の「机上の空論」ですから、変なところがあったら是非ご指摘下さい^^;

94:前三さん
審査において、なにを主眼に審査するのか?
によって、審査方法もかわるし、スレ主さんのいう弓道の目指すところが変わってくると思います。

体配を審査するのか?
射技を審査するのか?
日頃の的中率も考慮に入れるのか?

審査方法の枝葉末節よりも、まずは、弓道に我々はなにを求めるのかを議論したほうが、よいかと思います。

95:初心者さん
>「防止策」ではなく「予防策」と考えれば、「事例の真偽」にこだわる必要はなくなるのではないかと思います。

 私が疑問に感じたのは,単なる「事例」ではなく,特定の人たち(斜面系)が不当に差別されている,ということが前提になって論議が進められていたことです.
 一般的な潜在リスクに対する「予防」を対象にするのならば,理解できます.御提案の審査内容の開示や審査委員数の増加は,そのためには望ましいことでしょう.

96:紅一入さん
皆さん、さすがですね。審査内容の開示や審査委員数の増加が可能かどうかは別として、ここでわずかの間にもいくつも案がでるということは、今後に期待が持てるのかな、と思います。

 先日、県連理事の方とたまたまお話することができまして、私が前に挙げた「流派系統の特徴を理解して審査していただけるのか」という疑問を払拭していただきました。少なくとも私のいる県においては心配いらないようです。
 通っている一般道場でも、斜面で変な目で見られるどころか、ドップリとお仲間に入れていただいて和やかにやっていますし、斜面引きとしては、私は恵まれた環境にいるようです。
 私自身、弓道は続けていますが、「弓道界」には無縁だったので、このタイトルに興味を感じました。無縁だったのは、「私がみっともない射をすれば流派の恥と見られるのではないか」という不安が気持ちの中にあって、行事や審査に参加する気になれなかったからなのですが、このタイトルを通じて、私自身もっと開けてもいいのかな、と思い始めています。

初心者さん
 おっしゃること解ります。「不当に差別されている」と思い込んでいる集団があったら、あまり気持ちのいいものではないですよね。ですから「思い込ませない」「思い込みようのない」制度が必要、あるいは「現行制度で充分公平性や平準性を確保できるよ」という説明が必要なのかな、と思った訳なのですが、私があまりに制度に疎くてご迷惑をおかけしました。

ラブフィストさん
 前に「常に9割的中すれば賛同者がついてくる」と書きましたが、それに「普段の弓に対する姿勢」と「人柄」を加えさせて下さい。
 「弓道」は的中を求める技術とそれを磨く精神だと思いますが、「弓道界」は「人間界」そのもののようです。イヤなこともありそうですが、楽しいことも多そうです。
 ともあれ、このタイトルを通じて色々考えることができました。ありかとうございます。


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