応援の掛け声、拍手 (投稿31件)[1〜31]


1:れんさん
最後の大会が近づいてきました。只今私たちの学校の応援は、"よし"と言った後、パパパパンといった具合で4回拍手をするというものです。
しかし私的に応援を変えてみたいなとおもっています。なにかあたったときに盛り上がれるような応援はありませんか?

2:匿名さん
むしろ その応援に憧れます うちの学校では「よし」だけです
例えば「よし」を気持ち「おし」みたいにいってみるのもいいかもしれませんね

3:14kg練心さん
引いてるのが大前であれば『大前いっぽーん!大前いっぽーん!』
二的の人が引いてれば『二的いっぽーん!二的いっぼーん!』と打ち起こしくらいまでみんなで揃えて言い、大三から離れまでは、一緒に立ちに入ってるメンバーがバラバラに『あてろよ〜』『絶対あてろよ〜』なんて言ってる応援を見たことあります。某大学の弓道部の応援です

4:笹岡さん
高体連の大会だと、あまり激しい応援は注意されますよね。

5:14kg練心さん
でしょうね(^^;)

6:備中守さん
確か規則に「よし」か拍手以外の応援はダメだとか書いてあったような・・・

あと皆中以外の拍手はえらく紛らわしいですし・・・実際に射ていても妨害のように感じることもありますし・・・・・

7:タコ焼きやさんさん
確かに皆中以外の拍手は妨害ととられる事がありますね。
ならなくても他校の反感を買ったり、県の代表等で上位大会へ行く時は県自体の評判にも関わりかねませんから注意が必要です。

8:いきしちにさん
『よし』も『よーーーーーし!』とやたらと長いと気になりますね。

9:凛々さん
とある全国大会の決勝で、よし!のあとに拍手している学校が目立ち、
アナウンスで“拍手はやめて下さい”と注意されているのにもかかわらず、
続けている学校がほとんど。
その他にも、大声での私語、係員の言う事を聞かないなど、
せっかく良い射で優勝していても、態度が最悪の学校。
こんな弓道人にはなりたくないとつくづく感じました。

応援の掛け声を考える前に、自分達の観覧態度を考えてほしいものです

10:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
>9
高体連競技規則第14条の1
射場外よりの応援は「よし」の発声または拍手にとどめること。

文面だけでは状況をよく察することができませんが、競技規則と照らし合わせるだけなら、特に問題のある応援ではないと思います。
大会独自の細則を設ける場合には事前に要綱などで通達を出さなければならないので、大会の運営に問題があった可能性も否定できません。
このスレッドを見てわかる通り、自分のやり方と異なる応援に対して否定的な考えを持つ人間は多いですから、声を出しての応援なんて全面禁止にしちまえ、というのが私の考えです。

11:山吹色さん
しかしそれだとなんだか寂しい感じがします。緊迫した試合なんかでは、それぞれのチームの応援の色というものが出て、それらがぶつかり合っている感じがして、実に聞きごたえのあるものです。
そもそも応援というのは、味方を奮い立たせるのと、相手をひるませるというものなのですから、それにケチをつけるのは、それ自体がおかしなことだと思います。

12:しゃっこさん
応援とは仲間を奮い立たせるものですが、相手をひるませるものではないと思います。
相手をひるませるのは威嚇です。

矢声は聞いていて楽しいですけど、大会役員の忠告を聞かないなどというのはその学校がしれますね。
ちゃんと指示には従いましょう

13:カスさん
大学での日弓連主催の大会(全国選抜など)は、声を出すことを禁止しています。皆中の時のみ拍手を許されてます。

14:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
>13
同じ日弓連主催でも、全国中学生大会は声出しまくりです。
大学弓道というと勇ましいイメージがある(私だけ?)だけに意外です。

15:沙保さん
私の実体験なんですけど
全国大会に出場したんですけど
その時、自分が会に入るとき
相手チームの方が中ったんです。
その時の相手チームの応援の仕方が
拍手+掛け声でした。
さすがに会に入るときは嫌でしたね^^;

しゃっこさんもいってますが
応援は仲間を奮い立たせるもので
相手をひるませるものではないと思います。

16:ケロロンさん
山吹色さん、「応援が相手をひるませるものであってそれにケチをつけることがおかしい」と本心で言っているのならば、なんと心の寂しい人でしょうか。弓道を通じで人間性が成長することを願って止みません。

まぁ、いつも試合で出てる身からしたら他人の応援なんてまったく耳に入らないんで関係ないですけどね。下品な応援をしているとこに勝つのは快感です。でも、実力も応援も素晴らしいところに勝つのはもっと快感に感じる、天邪鬼な私です(笑

17:魂さん
別に相手が勝手にひるむ分にはいいのではと思います。むしろ、他校の応援で射が乱れるのはどうかと。
応援をすることによって自分の学校を奮い立たせ、他校の応援にプレッシャーをかけることができます。(うちの学校はこんなにまとまって大きな声が出せるんだぞ、と。ただこれは仲間を奮い立たせることのオプションにすぎませんが。)
不快な応援をするのはどうかと思いますけれど、そうでないならいいと思います。

ケロロンさん
揚げ足のようですが、人の文の一部だけを抜粋して心が寂しいまで仰るのはあまりよろしくないと思います。一応仲間への応援が第一に書かれているのですから・・・。
少し気になったもので・・・ 生意気ですみません。

18:ケロロンさん
だから「他校の応援にプレッシャーをかけることができます」って(笑
そういう気持ちで応援してることがどうかと思いません?互いに全力を出して勝った負けたの勝負は、得るものが多く、賞賛に値します。しかし、外部から影響により相手の力を出させないように仕向けることが如何なものか。社会に出れば足の引っ張り合いを所々で目にします。せめて弓道ではそんなレベルの低いことをして欲しくないという気持ちでいます。

19:環さん
ケロロンさん

魂さんのおっしゃった「他校の応援にプレッシャーをかけることができる」という意味をもう一度よく文面を読んで考えてみては? どう考えても足の引っ張り合いを推奨しているものではないと思うのですが.

まあ弓道やっている人間が矢声,拍手程度で集中力が乱れるというのなら,その人はその程度だということでしょう.

20:ケロロンさん
内容を少し取り間違えていましたね。これについては謝罪いたします。
しかし、弓道の試合は応援合戦ではありませんね。第一、弓道の道の考え方からすれば「競技にしろ応援にしろ、相手を怯ます」ということは教えにありません。自身がベストを尽くすためにひたすら精進することが真髄です。
ちょっと話は逸れますが、弓道はゴルフと似ています。自分の握ったクラブで球を打つ。この一見単純な作業の精度をいかにあげていくか。周りからの妨害無く、自分との戦いです。このゴルフは「紳士なスポーツ」と言われています。弓道もその心をもって行うべきだと思います。

21:弓暦四年目四回生さん
こんにちは。私は現在、学生弓道で弓を引いている者です。

私自身、大学の弓道部に入部して初めて弓道に触れましたので、弓道の試合では一般的に応援するのが当たり前と思っていました。

私にとって試合で選手として射場に立つということは、大学を代表して弓を引くということを意味します。試合で自分の矢が的中したときに仲間の精一杯の矢声が聞こえると、気持ちが奮い立たされたり、引き締まったりします。
また、逆に仲間を応援するときは選手として引くことはできない分、全力で応援することで一緒に戦っているという気持ちになります。

他の地域のことは分かりませんが、私の大学の所属する関西の学生弓道では、ほぼ全ての大学が試合で矢声を発しますので、応援で相手校の選手を威嚇したり、ひるませるような効果はあまり期待できないと思います。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、関西学生弓道リーグで1,2を争うようなある強豪校の一つは矢声を発しません。試合会場・道場にはただ的中の音が続くのみという感じです。静かですが、逆にオーラというか威圧感さえも感じることがあります。それはその大学の意図するところかどうかはわかりませんが、「強いというのはこういうことを言うんだな」と感じ入ってしまいます。
ちなみに、その強豪校は皆中の拍手以外に、大前から落まで一本的中が通ると拍手をするという独特の応援をします。

審査にせよ試合にせよ、弓道というのは純粋に自分との戦いをする武道であると思います。

ケロロンさんが
>自身がベストを尽くすためにひたすら精進することが真髄です。
とおっしゃっていることに、私も同意見です。

敵となる相手がいようがいまいが、その成否を決する最大の要素は自分の射であり的中であります。自分と仲間が持っている矢を全て的中させれば必ず勝ちます。相手の矢が失中することを期待するのは恥ずかしいことと思っています。それを応援という形で具現化させようとするのは尚恥じるべきことです。相手のいる試合においては相手が中ててこそ、より奮起するぐらいの気概で臨むべきではないでしょうか。

敵という形で相手がいるのであれば威圧するのではなく、その胸を借りられることに感謝するべきとも思います。「負けて感謝」という言葉もあります。

要点が分かりにくくなってしまいましたが、つまるところ、
選手であるなしに関わらず相手校を「応援」という形を借りて威圧・威嚇することは、その人自身にとって、研鑽の道において好ましいことではないでしょう。


私の未熟な弓道観を恥ずかしげも無く長々と述べてしまいました。一弓引きの戯言とお許しください。

22:沙保さん
こんにちは。ケロロンさんも言っていますが
弓道大会は応援大会ではありません。
拍手で集中力が切れてるのは私自身
未熟だからなのですが
もう一度、応援の仕方について考える
べきなのでは?とも思います。
私は昨年の大会で拍手をしているチームが
あり、弓道連盟の方々に注意されてる
人を見ました。
応援も第一ですが主は弓道です。
自分のチームは嬉しいかも知れませんが
それを不快に感じる人もいます。
弓道は精神スポーツ。
私もまだまだ人の事をいえないんですが
人の事を少しは考えるように心がけて行きたいものです。

23:沙保さん
間違えました・・・。
応援も第一と書いてありますが
正しくは“応援もは大事”です。
失礼しました。

24:弓暦四年目四回生さん
>22:沙保さん

「弓道は精神スポーツ。」この言葉、どこか漠然としていて要点がつかみきれませんん・・・。
すみませんが、未熟な私にこの点について詳しく説明していただけませんでしょうか。

25:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
>22
>それを不快に感じる人もいます
相手チームの応援を快感だと思う人も珍しいでしょう。
相手チームの応援の方法が自分たちと違ったなら尚更のことです。

上にも書きましたが、拍手はどの競技規則をみても禁止されていません。
しかし、沙保さんのようにそれでも不快だと思う人がいます。文句を言ってくる弓連の役員もいます。
応援する側もされる側も、もう少し広い心を持てたら良いですね。

26:沙保さん
>25
そうですね。
皆で心がけて行きたいものです。
>22
精神スポーツ・・
弓道って集中が大切じゃないですか。
それに、自分の心で矢飛びが変わったり
矢が中る場所も違うんです。
そういう意味を込めて使いました。

27:沙保さん
>22の所は
>24です。
間違えてばかりですいません・・。

28:弓暦四年目四回生さん
沙保さんへ

お答えいただきありがとうございます。

射場で引いている射手の集中力をそがないように、観覧・応援している者は配慮すべきということですね。私も同意見です。

>弓道って集中が大切じゃないですか。

そうです。
いかなる状況においても、自身の精神・集中力を自身でコントロールして中る弓を引く、またそういう力を体得することも弓道の稽古だと思います。

29:沙保さん
弓暦四年目四回生さん へ

返事、ありがとうございました。
私も同意見です。
そういう事も考えながら
稽古していけるのがベストですね。

30:山吹色さん
しばらく見ていない間に自分の書き込みが話題にあがっていたんですね。
その時居合わせられなかったのが残念であり、又迷惑をかけたことを申し訳なく思います。
自分がここで言いたかったひるませるの意味は、味方が中てた→嬉しい→応援、をして、相手が、こちらが的中したということが分かってしまい、さらに気合のこもった声に何かしら影響を受けるんではないかと考えたことであって、それを目的としての応援ではないということです。ですが、読み返してみると威嚇目的の応援と見られても仕方がないと思います。
不快に思われた方には謝罪いたします。

31:やまきたさん
栃木の中学校の応援は拍手のみとなっています。
『よし!』なんて声を出したらアナウンスで注意されますよ^^;
だから関東大会ではいつもいつも声の応援に驚かされます。

応援の目的なんて人それぞれ違いますよね。
下手したら同じ学校でも目的が違うかも知れません。
ぼくは、『部の結束力』を見せ付けるためなのかなと思います。
効果としては『仲間の勇気つけ』ができて『相手への威圧感』を与えられるでしょう。
相手への威圧感を与えることはフェアじゃないと考える人も(が)たくさんいることはわかってますが、それに耐えられる『何か』を普段の練習で得ることはしなくて良いのでしょうか?
その『何か』を得るための努力をせずに大会で良い結果を出せずに、『応援はフェアじゃない』というのはあまりにも滑稽なことだと思いませんか?
それより大会をみていて、応援がうまい学校の結果は、かなり良いものではありませんか?
応援はアンフェアだというならばそれは良い結果を出してはいけないといってるようなもののように聞こえてしまいます。
主観的な要素ばかりですが、コレだけは良く考えてみてください。
応援が出来ている学校と出来ていない学校。
良い成績がとれるのはどちらでしょう?


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