スポーツと身だしなみ (投稿73件)[1〜73]


1:藤川弓児さん
今日新聞にて

「鹿児島の中学生、バドミントンの大会で勝利するも眉毛を剃っていたために負けの判定に覆る。 大会本部『身だしなみの悪い生徒の出場は認めないと事前に通達しているのでこの処置は妥当』」

という記事を見ました。また、記事の最後には教育評論家の方のコメントで『スポーツと生活指導は別である』とありました。

さて、今回の事例はバドミントンでしたが、弓道や他スポーツにおいても「身だしなみ」は最低限のマナーだと思いますか?あるいはスポーツと生活指導は別だと思いますか?
実に興味深い事例なのでぜひ皆様のご意見をお聞かせください。

2:にゃぁさん
スポーツと生活指導は密接な関係にあるとは思いますが、記事のように試合後に身だしなみが原因で判定が覆るのはありえないと思います。試合前に出場停止になるならまだしも勝敗が決したあとにこのようなことが起きては勝った側も負けた側も納得がいかないと思います。

3:天龍さん
 昔、高校野球で、ホームランを打った選手を、ベンチ前に全員が出て、大騒ぎで迎えたのを見た審判が、これをアウトにした、という事例がありました。「高校生らしくない」というのが理由。世間をあ然とさせました。
 少年スポーツの審判や、運営担当者が、自分をものすごい権限をもった大教育者と思い込んでいるのが、時々こういう珍判定をする原因でしょう。

4:たぶんおやじさん
弓道で関して言えばハチマキの色が指定されました。弓に輪ゴムを付けるなとか、ミサンガが駄目とかありましたが、それで外れとか入賞取り消しとかは遠慮したいですねえ。
高校のうちは規則に従えということなのでしょうかねえ。
一つ言える事は節度をお互いが持つと言うことでしょう。
バトミントンの例はオリンピックだったらスポーツ仲裁裁判所行きですよ。

5:水さん
スポーツと身だしなみ等を結びつけて判定するなんて私には理解できませんね。
世の中結果が全てじゃないんですか?まあ、その結果に納得できるかそうでないかは人それぞれですが。

6:三重の弓人 ◆MOCQkEHYさん
試合後に判定が覆るものとして、確か、剣道では勝った後にガッツポーズをすると負けになります。ガッツポーズなどの行為が武道家らしくない行動のためだったと思います。
しかし、バトミントンの事例では、にゃぁさんの仰るように、試合前に止められたことなので、試合後に結果が覆るのは、自分としてはどうかとは思いますが…。
身だしなみは自分は最低限のマナーだと思いますが、身だしなみの基準が人それぞれ違いますから、何とも言えません。たぶんおやじさんが仰るように、節度を考えることが大事ですね。
自分も皆さんの意見を参考に少し考えてみようと思います。
長文・駄文失礼しました。

7:たぶんおやじさん
スポーツと身だしなみ等を結びつけて判定するなんて私には理解できませんね。

と言われますが、力士は和服を着用してますね。
オリンピックは揃いのブレザーです。
プロサッカーやプロ野球の選手の移動もスーツです。
スポーツマンシップが何たるかを
よく考えるべきでしょう。

8:かれんさん
<スポーツと身だしなみ等を結びつけて判定するなんて私には理解できませんね。

そうですか?
弓道は「礼」を第一とする武道の一つです。
精神面で充実させていい弓を引くことが目的です。あてることではありません。

<世の中結果が全てじゃないんですか?

結果がすべて・・・寂しい言葉ですね。
勝つことがすべてなら、オリンピックで金メダルが取れなかった選手も、甲子園で優勝できなかったチームも、すべて無駄ってことですね。

でも、違うでしょう。

みだしなみ、礼儀、こういった人間として当たり前のことができない人は、競技でも勝てない、もし勝てても、他の部分で負けてます。

大学のトップ校は礼儀作法も厳しいですよ。

9:いんちさん
やっぱり弓道も武道のひとつですし、礼に始まり礼に終わるというのはよく言いますよね。弓道は特に着装も厳しく、大会で変な格好していたり、礼を欠いたりすれば当然怒られます。

ただ、少し話しがズレてしまうかもしれませんが、ひとつだけ例外として存在しているのが大学弓道で、トップ校はしっかりしていますが、全国大会ともなれば色とりどりの道衣はありますし、そのくらいはいいと思いますが、袴をズルズル引きずっていたり、マナーで言えば大会で規制されているのに射場内で矢声を出したりとかそういう人たちがいるのも事実ですよね。

10:弓遊び ◆.t4dJfuUさん
>9
いんちさん


スレ内容から外れますが質問です。

ここ、三十年ほど大学生の試合を見ておりませんので知らないもので…
今の大学生の試合では射手が矢を発する時に射手自身が掛け声を発して(矢声といいます)いるのですか?

11:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
http://www.asahi.com/sports/update/0729/092.html
これですね。
全く信じられない判定です。県総体の準々決勝という大舞台でこのようなことがあったとは、非常に残念です。
何故、眉毛を剃ることを禁止するのが生活指導なのか、全く理解できません。染髪することが周りに不快感を与えるなどとは、もともと髪の毛の色が黒くない人に対しての差別意識を生み出します。
自分が節度ある身だしなみをするのはもちろんですが、相手の身だしなみに対する考え方を理解することもとても大切だと思います。自分の価値観を他人に押し付けて他人の価値観を否定するのは『礼』とはいえません。弓道の国際化が進む中、真剣に考えなければならない話題ですね。
あと、勘違いしている人がいるようですが、競技会のおいては、本来結果が全てです。大会に出ている以上、その大会で相手に勝たなければ意味が無い。『あの選手は強いけど態度が悪いね』といくら負けた選手が嘆いても、それは負け犬の遠吠えに過ぎません。スポーツとは、そういうものです。
でも、個人的に亀田兄弟は嫌いです(笑

12:ヒヨコV3さん
9>
トップ校以外もきちんとしてる所たくさんありますので紛らわしい書き方は誤解を生むと思います。

本題ですが、
大会に参加する者は大会の規約を守るのは当然だと思います。

13:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
 続きというか追伸です。
 調べてみたら、この大会を取り仕切っていた中体連の運営は、眉毛剃りを指摘した選手が所属している中学校が担当しているようです。何か大人の事情がありそうです。
 そんなことは良いとしても、事前の通達には『出場を認めない場合もある』とありますが、裏を返せば『出場を認める場合もある』ということなので、やはりこのような曖昧な通達を根拠に判定を覆してしまった中体連に非があるなと思いました。そもそも、中体連のやり方には、強い選手を全国大会に送り出そうという考え方が全くありませんからね。
 だいたい、女の子にとっては、眉毛を剃ることも身だしなみを整えることの一環でしょう。男の子に髭を剃るなというのと同じようなものだと思います。
 ちなみに私は尾木直樹も嫌いです。
 少し愚痴になってしまいましたね。失礼します。

14:藤川弓児さん
皆さん様々な意見を交わしていて大変参考になります。

個人的には中学生は教育を受けている身ですからお洒落をするにしても範囲が限られていると思います。
私も中学生のころは野球部でしたが、大会前には自発的にしっかりボウズ頭にしてのぞんだものです。
私はスポーツをやる上でまず礼儀が土台にあってこそだと思います。身だしなみをしっかりすることの大切さは自分を引き締め、最高のパフォーマンスをすることではないでしょうか。
また、我々の生まれ育った日本という国は「礼」において世界に誇れるものがあります。別にナショナリズムを主張する気はありませんが、古来より日本人の心にある礼だけは風化させたくないですね。

15:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
しつこいですがもう少し。
記事をよく見たら、当初2-0で勝っていたはずなのに、指摘により1-1とし、第3試合を行ってるではないですか。眉毛剃りを指摘したら1ポイント加点で、指摘されたら1ポイント減点? そんなの絶対におかしいです。

16:藤川弓児さん
笹岡さんのおっしゃることもわかりますね。
既に試合を終えた後の指摘及び判定変更は良くないですね。私が中学生の頃、野球部の試合で似たようなケースがあり(その時は髪を染めている選手がいた)その時は私側の顧問が試合前に指摘していました。
気付かずに試合を始めてしまった指導者側にも落ち度がありますね。

17:射即人生+射即生活さん
スポーツ…
上に行けば行くほど日頃の行いがモノをいう。

武道…
いわずもがな。

18:DEWさん
>>15
2-0というのは2勝0敗という意味でしょう。
第1試合か第2試合かはわかりませんが、どちらか一方の試合を眉を剃った選手のいる学校の負け(出場を認めないとしていることから不戦勝扱いかな?)としたということですね。

やはり藤川球児さんの仰るとおり基本的には試合終了後に判定が覆るのはまずいですよね。
弓道でも国体でありましたよね。その時は審判が試合の止め方がわからなかったため終了後に指摘したという信じられない話だった気が。

19:Qちゃん ◆ve0/ks1kさん
眉そりの生徒は×という規定を作ったんなら、徹底すれば構わないと、私は思っています。

このサイトでは武道と容儀との関係については良く取り上げられますよね。一般の大会ならば、私は何でも有りだと思っていますが、中高校生の場合には事情が異なります。指導上問題がある格好をしている生徒の出場を拒むことは、大会運営側としてはごく普通の判断だと思います。部活動は教育活動の一環ですから、学校の生指部に指導を受けるような状態の生徒が、対外試合に出られたら、はっきり言って困ります。特に外見は大事です。反語的に思われるかもしれませんが、1人1人の内面をいちいち判断することは不可能ですから、その生徒さんの遵法意識を判断するのはとりあえず外見です。そこでチェックが入るならば、もうだめでしょう。

ただし、今回の新聞沙汰になっている件は、運営がまずいですね。上記のようなことを書いているくらいですから、私なら、その場で出場辞退させますが、それを見逃して(気づかずに?)試合を始めさせてしまったのならば、その試合までは認めるべきであったと思います。それを試合の途中であれこれとするのは、まずいですね。その試合までは認めた上で、次を辞退してもらうとか、いろんな方法があっただろうと思います。

ということで、運営の面で反省すべき点はあるものの、私は当該専門部の「考え方」には賛成です。

20:いんちさん
ヒヨコV3さん
確かに誤解のある書き方をしてしまいました。申し訳ありませんでした。
もちろんトップも他のところもほとんどの大学はしっかりしています。ただ、その中にはそういうところもあるということなので。すいませんでした。

弓遊びさん
矢声は全国大会では規制されてしまってちょっとさみしいのですが、各地区のリーグ戦や選手権大会などでは健在だと思いますよ。ただインカレでも的中のかけ声はあるので去年の神戸インカレの決勝の関西勢一丸の応援はすごかったですよ!

21:ジャオさん
 大会のルールで決まっているなら、それに従うべきです。ルールは大会に出るための最低限のマナーだと思います。
 しかし今回の場合は最初に(試合前)気付くべきことで、あとでどうこうするのは負けたほうも、勝ったほうも嫌な気持ちになります。ですから運営側にも非があります。
 このような事が起こらないように大会を運営する側も出る側も気を付けていってほしいですね。

22:弓遊び ◆.t4dJfuUさん
>20
いんちさん…


まずは、解答して頂き有難う御座居ました。
もう一つ教えて頂きたいのですが…

>矢声は、全国大会では規制されて・・・


約三十年ほど前の大学の試合…
全日・王座・東西・地区リーグ戦・地区大会・その他、定期戦や一般の射会などで矢声を出す大学生は一人も居いませんでしたので…
変わったのでしょうか?
ちなみに、矢声はやはり『エーィッ!』とか『ヤーッ!』とか発しているのですか?

23:鳥打さん
スポーツと身だしなみ、特に弓道と身だしなみについては、密接な関係、というより両方が揃って実力というか、その人の力量だと思います。高校生や大学生などは、思春期だったり、反抗期だったり、若く、自分を個性を主張したい年頃のように思います。
弓道は個人競技か、団体競技かどちらか明確に分けるつもりはありませんが、皆より目立ちたい、自分をより大きく見せたいと思う気持ちが強いのだと思います。
学生弓道が悪いというわけではありませんが、身だしなみの部分を注意する事は、あまりありません。
私の経験談ですが、大学で着付けが悪い後輩に何故もっと普通に着ないのか?と問いました所「試合で着付けが悪い人は、経験が浅い人とか良いように見られませんが、そのような人が凄く中てたら格好良いじゃないじゃないですか」と言いました。私は後輩がこのように育ってしまった自分の無力さに落胆しました。
ギャップから生まれる人の目を意識しての行為ですね。
強力な指導者の方もおらず、私も甘かったのかもしれません。個人主義の時勢に、何が悪いかを強力に教えるのも、上に立つ人の使命のように、私個人は思います。
大会運営側もある程度のマナーとしての取り締まりをするべきでしょうし、選手個人も、少し意味が違うかもしれませんが、身だしなみにも「真・善・美」を追求するべきだと考えます。
長文、やや感情も入り、失礼致しました。

24:たぶんおやじさん
大学生と中学生が同じレベルでいいのかい?

それは悲しいぞ。

25:鳥打さん
確かに、中学生と大学生を同一視するような事は良くありませんでした。
上で述べさせていただきました、私の後輩は、当時弓道暦一年未満。最初に行った大きな大会で、格好の良いと思った人がそうだったように思います。
経験だけでは、まだまだ初心者と言えます。
分別のある「大人」という人間になるにはということは、弓道の枠だけではなく、人の人生のように感じます。
弓道から脱線してしまいそうなので、このあたりで自粛致します。

26:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>弓遊びさま
>ちなみに、矢声はやはり『エーィッ!』とか『ヤーッ!』とか発しているのですか?
一般に云うそう云った「矢声」とはちょっと違うような気が致します。
斯様な(正式な)矢声を出す学生さんは、仰るようにいらっしゃらないような気が致します。
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife/2044/index.html
こちらに、二つの試合の動画がアップされております。
「射手が離した後に発声をする」ことに対する一つのヒントがあるように思えます。

全日の試合の様子は、昔(僕等が学生の頃)と違って応援もなく静かそのものですね。

こう云う形で射位で大声を出すことは、僕等の学生時代には無かった気がしますね。

>いんちさま
仰っておられることは、多分‘矢声’ではない気が致します。

>インカレでも的中のかけ声はある
一般では、これを‘応援’と呼ぶようです。
「応援」はよし!または拍手との規制があるのでしょう。

大学では、射手が引いている間、必死で大声を出すこと・・が応援ですよね。
頑張って応援してくれる人には悪いですが、引分けに入ったら静かにして!って思ったりしてました。

27:いんちさん
弓遊びさん
お返事が遅れてしまい申し訳ありませんでした。明鏡止水さんに先に言われてしまいましたが、確かに一般の世界で言われる矢声と学生の世界の矢声とは違うものですね。一般では巻藁射礼のときなどに「エイッ」「ヤァー」と声を出すことがあると聞いたことがありますが(違ってたらすいません)んー、どうなんでしょう?少なくとも僕の地区では射手が引いているときに周りが声を出して応援することを矢声と呼んでいます。的中の掛け声も様々で、「シャー」とか「セイ」などあり、その後「ナイス○的!」と言うところも多いですね。

28:弓遊び ◆.t4dJfuUさん
>27
いんちさん

うーん…
一般で言う矢声、と大学でいう矢声、二種類あると言うことですか?

明鏡止水さんが書き込みなされた内容をも参考にして考えてみましたが…
矢声という語句を間違って使っているように思います。


>明鏡止水さん

私へのわかりやすい書き込み有難う御座居ました。

また、いんちさんへ書き込みなされている内容、深く頷けます。
フォローして頂いた様な形になりました。
有難う御座居ます。

29:1さん
削除されました。

30:まらひりさん
化粧している女性は多いですがあれはやめて欲しいですね。特に大人の女性はして当然という暗黙のルールがあるようです。
武道というものがわかっていませんね

31:天龍さん
>まらひりさん
こんにちは。
興味深い意見です。
正直あまり考えた事がありませんでした。
もう少し突っ込んで説明していただけますか。

32:六連星さん
私の地区の高校の女子は大会で化粧していた場合出場禁止になってます

33:たぶんおやじさん
>化粧している女性は多いですがあれはやめて欲しいですね。特に大人の女性はして当然という暗黙のルールがあるようです。

今更、すっぴんのおばさんらも見たくは無いのですが・・・

私だけですか?

34:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
まあ、化粧は女性の身だしなみですから、すっぴんという訳にもいかないでしょう。

ただ、「ではどの程度までならOKなのか」と問われると、明確な言葉にはし辛いものがございます。何分、時代によっても、また個人によっても価値観は異なりますので・・・。髪を染めるなど、私の高校生時分はヤンキー位でしたが、今は茶髪の高校生もさほど珍しくなくなりましたし。

もっとも、個人的には「マスカラくっきり」だの「香水のにおいぷんぷん」だのといった厚化粧はご勘弁頂きたいです。

35:ちゅうさん
こんばんは、私から知ってる事を一言

私の県連で審査があった後、審査員の男の先生達の飲み会に呼ばれて行った時の話しです。

その中で
審査員A「ー段の審査のー立目のー的の人化粧濃かったな〜」
一同「覚えてる(一同爆笑)」
審査員A「真善美の意味を勘違いしている女性多いな。化粧で美を得られると思っている」
審査員B「逆に化粧をばっちりしている人はそれなりの射だったら間違いなく合格には私はしていない」
審査員C「実は私もそうしている。見た目で美を目指すなら美人コンテスト目指した方がいいな。普段は女性がいる時はこんな話しはできないけどな」

一同爆笑

***********************

少なくとも、審査員の先生達は化粧はあまりいい印象は持っていないようです。

36:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
>35
化粧でなくて他に見るべきところはなかったのかとツッコミを入れたいですけど、そんなに酷い化粧だったのかな。
審査を受ける側としては射を見てもらうわけですから、目を奪うような化粧はするべきでないと思いますが、審査する側も化粧如きに目を奪われるべきではないと思います。

37:弓引きさん
>笹岡様

逆に化粧ばっちり過ぎて、射をばっちりみられてしまうということでしょう。

化粧で見た目を良くしすぎると、射がそれなりだと先生方もガッカリしちゃう。
だからと言って身だしなみとしてスッピンが良いとは思いませんが、全体的なバランス感覚は必要と言うことですね。

38:天龍さん
ごくまれに、社会人でノーメイクの女性がいますが、これは一般的にマナー違反と言われます。
そう言われないために、化粧品アレルギーの女性は、敏感肌用や無香料の商品を探したり結構苦労しているのです。
素顔で弓を引けと言う方がむしろ酷だと思います。
夜と昼を間違えて出てきたようなメイクは、弓道場に限らず何とか考えて欲しいとは思いますが。

39:ゆるみ離れ ◆rBQWtf4.さん
>結構苦労
ブランド物の化粧品だと、1か月分でかけや弓を買える位になるそうです。そう考えると、確かに大変なご苦労ですね。

40:レンジャーさん
中 高生ならば、スポーツをする上で化粧は必要ないと思いますがどうでしょうか?

なぜ勝負の世界で外見を気にするのですか?
大会や試合などは 自分が頑張ってきた成果を出し切ろうとするものです。
一概には言えませんが
化粧をしている人は我夢者羅に頑張ることをダサいとか思っているのではないでしょうか?
話がずれましたね 汗

しかし結果は結果です。
きっとそれ相応の努力をしたのだと思います。
周りからすればあまりいい気はしませんが、努力は認めるべきだと思います。

41:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
>40
>中高生ならば、スポーツをする上で化粧は必要ない
そうです。
中高生に限らず、中高年でもスポーツをするうえで化粧は必要ありません。
毎日風呂に入って身体を洗う必要もありません。
髪型は坊主頭で十分です。
髭も身体を動かすのに邪魔でなければ剃る必要もありません。
・・・・・・と、そんなことはありませんよね。
何日も風呂に入らず身体を洗わなければ不衛生ですし、女性が坊主頭でいればそれなりの目で見られますし、中高生が髭を生やしていたら怒られるでしょう。
勝負の世界で外見を気にする必要はありませんが、勝負の世界といえば私たちの日常生活の一部なのですから、見た目を気にする必要は大いにあります。
それは、私たちが日常生活において良好な人間関係を築く上で極めて重要なことです。

42:とらさん
要はどれだけ真剣に勝負の世界に身を置いてるか、ということだと思います。
「勝負の世界にお洒落は必要ない」というより、「お洒落をしてる時間があったら練習をしろ」ということです。
それに「本当に真剣に勝負している人はお洒落なんかしなくても美しい」ということも言えます。
イチローは髪なんか染めなくてもカッコいいでしょう?
まあどれだけ真剣に打ち込むかは個人の自由ですから、趣味の範囲なら構わないと思いますが。

43:天龍さん
イチロー選手の例えが出ましたが、私は全く逆だと思います。
一見無精髭に見えるあごひげ口ひげ、ラフな頭髪は、かなり計算された手入れがなされていると思います。スタイリストに近いスタッフがいると思われるくらいです。不潔に見えない限界ギリギリの粗野な雰囲気。日本からUSAに乗り込んできたサムライというイメージを相当意識していますね。
ユニフォームの着こなしも、自分の細身の体型を最大限生かした見事なものだと思いますが。
だから格好いいんですよ。
勝負に生きる一流選手は身なりなど構っていないという、典型的な観念論はかなり時代錯誤、要するに古いと言わざるを得ませんね。

44:とらさん
そうですかね。
「一流選手は不必要なお洒落をしてはいけない」
ならばたしかに時代錯誤ですが、
「一流選手は不必要なお洒落をしない」
というのはいつの時代も変わらないものだと思います。
大事なのは「してはいけない」ではなく「しない」という自発的なところです。
スポーツマンも人間ですから、「お洒落したい」という「欲」が出るのは仕方ないことです。
ですが、ここで一流選手は一つ違いがあります。
それは「格」です。平たく言えばプライドとでも言えましょうか。
真の一流選手というのはお洒落という欲の顕示によって自分の格に傷が付くのを分かっているものだと私は思います。
また、「見た目ではなくプレーで魅せる」という信念も人一倍持っているでしょう。
これは「そうでなければ一流選手ではない」というよりも「そうでなければ一流選手にはなれない」ということだと思います。もちろん種目や国によって例外はありますが、全体的な傾向としてこれはいつの時代も変わらぬ心なのではないでしょうか。
禁止ではなく自制ですからお洒落がダメだとは言いません。
ただ真の一流選手、またそれを目指す者、つまり真剣に取り組んでいるスポーツマンというのは、言われなくてもお洒落を控えるものだと私は思います。

45:とらさん
追記しますがお洒落という言葉は少し語弊がありますね。
良い意味でのお洒落もありますし。
ふしだらな格好、奇抜な格好とでも置き換えてみてください。

46:野球好きさん
>日本からUSAに乗り込んできたサムライというイメージを相当意識
>ユニフォームの着こなしも、自分の細身の体型を最大限生かした

 これも「観念論」かなあ?
 スポーツ新聞情報程度ですが、挙げられた二つの例は基本的に野球の勝負のための工夫なんじゃないですか。
 
 イチロー選手は、若い頃は本当に童顔でしたが、今でもヒゲがなくなればかなりやさしい顔です。また、アメリカでは、アジア系の顔は全体的に幼く見えるようです。あのヒゲ面は、相手投手に、より一層の威圧感を与えるためじゃないでしょうか。
 
 イチロー選手のユニフォームの着こなしで明らかに目立つのは、昔風にすそを上げてストッキングを見せるようにしていることです。これは、格好の問題ではなく、足にかける負担を少なくして走りやすくするためだと本人がインタビューに答えていました。
 
 弓道からそれた蛇足ですが、二つとも、イメージや体型の問題ではなく、勝負のための工夫が主たる目的だと思います。

 「不必要なお洒落」ではなく、「勝負に必要なお洒落」か?

47:天龍さん
イチロー選手のズボンのすそが短いのは走りやすくするため。ではオリックス時代は足首までの長いズボンをはいていたが、と言われれば、あれは怪我の予防のためと恐らく言うでしょう。
やはり、男は流行を追ってるとか、格好つけていると言われることを、恥と感じる微妙な心理があります。
その心理が、「実力の世界に生きる勝負師は格好なんか気にしない。」と強がる意見に行き着くのだと思います。
長嶋茂雄は、王や野村や落合や金田よりはるかに記録は劣りますが、いまだにミスタープロ野球の地位に君臨しております。やはり格好良かったからに外なりません。
実力もあり、格好もいい方が良いに決まってる、と思いますけど?

48:とらさん
うーん、かなり個人的な意見ですが、私は長嶋茂雄を真の一流選手だとは思ってないので微妙なところです。
「記録より記憶に残る」とはいいますが、やはり大事なのは記録かと。
当時の長嶋を知らない人間としては、王貞治などの記録の方がピンときますし、
未だに長嶋だけが特別扱いされるのは単に関東中心のメディアの仕業のような気もします。
まあ私の個人的な人物観を語っても仕方ないですけど。
議論をふいにするようで申し訳ありませんが、これは結局「価値観」次第の問題なんですかね。
スポーツに何を求めるかは人それぞれ違いますし、何が正しいかなんてないですから。
「格好良さ」を求めるのもそれはそれでありだと思います。
ただ、私は記録第一主義ですし(裏を返せば「格好つけてても記録を出せばOK」とも言えますが)、
経験上のものから「必要以上に格好に気を取られる人間は一流選手になれない」傾向があるように思います。

49:野球好きさん
 最近の野球をあまりご存知なかったようですが、イチロー選手がユニフォームのすそを上げるようになったのは昨年あたりからです。オリックス時代を持ち出されても当惑します。
 イチロー選手の盗塁は、昨年はそのまえ数年に比較して10数個も増え、さらに先月まで2年にわたる連続成功記録の更新が話題になっていました。その主たる要因がユニフォームの着こなしの変更にあるとは言いませんが、年齢を加えて体力や体調も変わりつつあるでしょうから、いろいろな工夫をしている一つなのでしょう。
 また、お気づきではないようですが、「やはり、男は・・・微妙な心理があり・・・強がる意見に行き着く」という部分は、あなたの言う「典型的な観念論」というやつですね。事実に即して考えれば、イチロー選手の例は、上に書いたとおり、該当しません。

50:天龍さん
くどくなって恐縮ですが、おもしろいので反論させてください。
私の「観念論」という言い方がご不興を買ったようですが、実例も根拠も示さず「一流選手は格好など気にしない」と決め付ける発言があったので、それは古い固定観念です、と申しただけです。
イチロー選手がユニフォームのすそを長くしたり短くしたりするのは、流行の変化をいち早く取り入れる本人一流のファッションセンスによるもので、実利的云々の説明は、彼特有のシャイで強がりの性格から来る言い訳だ、と解釈しました。
だから、一流選手であるイチローも人並み以上に外見に配慮をしているのです、と結論づけました。
これがなぜ観念論なのでしょうか。

51:とらさん
結局、一流選手の気持ちを「想像」するしかない我々は、どんな論を語るにしろ「観念論」になってしまうということではないでしょうか。
イチローの格好一つにしても「成績のため」なのか「見た目を気にして」なのかは、様々な角度から推測をしたところで、結局は本人にしか分からないのですから。
それに実例と言われても「一流選手」という括りは大まか過ぎて把握しきれませんし、根拠といっても一流選手ではない我々が何を語ろうと推論の域を出ることは出来ないでしょうし。

52:ヒヨコV3さん
長く掲示板を見てると定期的にこの手の話が上がりますね。
野球は野球。弓道は弓道。なんなら袴の裾を短くしたり長くって人が出かねないような気がします。
例を出すなら弓道の先生を出してほしいものです。
誰もが知ってる人を出したと思われますがあまりにも違いすぎると思います。

53:とらさん
すみませんね。
個人的にイチローの例が一番分かりやすいかと思ったので。
たしかに種目のイメージとしては全然違うものですからピンと来ないかもしれませんね。
弓道はいろいろと制限が多いですし。
ただ、違いはあれど、イチローの野球に対する姿勢は、どんな種目であれ見習うべきものだとも思います。
最近のインタビューで彼は「古い良いものを残しつつ、新しいものを採り入れたい」と語っていました。
これは当たり前のことですが、しかし弓道の世界にはどうも「古いものを守る」だけの人が多いように思います。
ここはスポーツと身だしなみの関係を語る場ですから、この話は不適切かもしれませんが、少なくとも技術的な面でイチローの姿勢は見習うべきだと思います。

54:紅一入さん
>「古い良いものを残しつつ、新しいものを採り入れたい」

 弓の場合では、日弓連の理事クラスか流派の代表クラスの発言でなければ、説得力がないと思いますね。「古い良いもの」が解っているのか?ということになりますから。

>弓道の世界にはどうも「古いものを守る」だけの人が多いように思います。

 ホントかな? というか、ここが非常に問題だと思うのですが、「古いもの」が伝わっていない事が問題だと思うのです。
 元々各流派に伝わっていた様々な事(弓具の決まり、時に応じた服装の決まりなどもろもろの事)の伝承のうち伝わらずに消滅してしまっている事が多いのです。それら伝承はそれぞれに必要性や切実で合理的な理由があって長い時間をかけて出来上がったものだと思うのですが、残念ながら明治と戦後の混乱期に多くが消滅してしまった。現在多くの人は日弓連の「教本」に書いてある程度しか知りません。決まり事の理由や必要性が不明な事も多いです。
 中には古文書をひもといて研究されている方もおられます。「伝承」を掘り起こしてそれらの「理由・必要性」をはっきりさせてゆく作業は大変でしょうが大事なことだと思います。
 このような中で、我々はどうするべきか?
 先ずは、謙虚になるべきだと思います。そして一つ一つの事を原点から考えて「理由・必要性」を考えようとする姿勢を持つ事が大切だと思います。
 トンチンカンな弓道を後生に残してしまうことは避けたいものです。(「教本」もすでにある意味トンチンカンな部分を有しているという見方もできるわけで、これ以上拡大してはならないと思います。)

55:紅一入さん
追記で本題に戻ります。
 
 つまり、現代の人が軽い気持ちで何かを変えたとして、それが昔の人から見たら、ものすごく忌まわしい事であったり、切腹ものの失礼な事であったとしたら、あるいは何かの理由でその場の射の妨げになったりしたら、気持ちいいですか? という事なのです。そしてそれを判断する材料が現代の我々には伝わっていないのです。
 であれば、現在生きているやり方に従うのが、便法として正しいように思います。
 日弓連や支部についても、同じ理由で、体配とかをあまり変更しないで欲しいと思います。

56:ロッキーさん
私の知り合いにも弓道の歴史を詳しく研究している教授がいますから、おっしゃることはよく分かります。
ただ、「現在広く一般に知れ渡っている古いしきたり」に関して言えば、必要性がないにも関わらず遵守されているものが多いのは事実だと思います。
例えば矢や弓に(的中率を上げるための)印をつけることは現在禁止されていますが、これは昔は普通に行われていたことです。
このように弓道の技術の低下を招くしきたりが守られているかと思えば、逆に日置流のように合理的であるにも関わらず淘汰されつつある伝統もあります。
要は紅一入さんのおっしゃるように「理由・必要性」というものを考えず、伝統と因襲の区別をしない人が多いということですね。
これは残念ながら現在の日弓連にも言えることだと思います。
新旧に関わらず、良いものと悪いものを見極めることは大事です。
そういう意味で「(悪い意味での)お洒落」がどちらに含まれるのかを議論することはやはり大事だと思います。

57:ロッキーさん
すいません、紅一入さんの追記を読んでなかったので、それに対して私も追記させていただきます。
これは「弓道」に対する考え方が現れる問題で、とても興味深いことだと思いました。
それは弓道を「歴史」と「進化」のどちらに比重を於いて捉えるか、ということです。
「歴史」として強く認識するのならば、たしかに現代の我々が安易に手を加えることは禁忌なのかもしれません。
一方で「進化」の側面を重視するならば、伝統に捕らわれずに改変を加えることは必要だと思います。
私は「進化」を重視すべきだと思っていますが、日弓連の考え方は「歴史」寄りのようですね。
まあ「文化としての弓道」を守る立場ですから当たり前と言えば当たり前ですが。
これはどちらが正しいという問題ではないと思います。
ただ、私の考えとしては、現代人は練習量において昔の人には絶対に適いませんから、少しでも昔の人達のレベルに近付くためには、道具や技術を進化させるべきだと思ってます。
またそのために例え昔の人にとって切腹ものの行為をすることになろうとも、現代には現代の生き方があり、武道もそれに合わせて変化すべきだとも考えています。
とはいっても、限度はあると思いますが。
これが武道とスポーツの大きな違いであり、難しいところですね。
どちらにしろ身だしなみに関して言えば、人を不快にさせる格好は好ましくないと思いますが。

58:カズさん
私もロッキーさんの言うように「進化」を重視すべきだと思います。
そもそも武道というものは、あるとき突然に完成された形で現れたものではなく、先祖代々試行錯誤を重ねて日々進化していったものであり、それは現代においても決して完成されたものではないのです。
師弟という制度も、師の教えを弟子が単に引き継ぐだけでなく、その弟子がさらに改良を重ねて次の代に伝えていくものなのです。
そう考えると、現代の我々がただ昔の教えを享受するだけで、その教えを進化させずに、ただ遵守したり退化させたりすることは、それこそ失礼にあたることなのではないでしょうか。
紅一入さんの言うように残すべき伝統をまず伝えること。その上で新たに改良を重ねること。
このどちらもが今の弓道界には(全体的に)欠けており、ただ精神論を説くばかりで弓道を退化させているだけのような気がします。
と、ここまで書いてふとスレタイを思い出しました^^;
関係ない話題ですいませんが、「武道は完成されたものではない」ということは心の片隅に残しておいて欲しいですね。

59:ロッキーさん
すいません、紅一入さんの追記を読んでなかったので、それに対して私も追記させていただきます。
これは「弓道」に対する考え方が現れる問題で、とても興味深いことだと思いました。
それは弓道を「歴史」と「進化」のどちらに比重を於いて捉えるか、ということです。
「歴史」として強く認識するのならば、たしかに現代の我々が安易に手を加えることは禁忌なのかもしれません。
一方で「進化」の側面を重視するならば、伝統に捕らわれずに改変を加えることは必要だと思います。
私は「進化」を重視すべきだと思っていますが、日弓連の考え方は「歴史」寄りのようですね。
まあ「文化としての弓道」を守る立場ですから当たり前と言えば当たり前ですが。
これはどちらが正しいという問題ではないと思います。
ただ、私の考えとしては、現代人は練習量において昔の人には絶対に適いませんから、少しでも昔の人達のレベルに近付くためには、道具や技術を進化させるべきだと思ってます。
またそのために例え昔の人にとって切腹ものの行為をすることになろうとも、現代には現代の生き方があり、武道もそれに合わせて変化すべきだとも考えています。
とはいっても、限度はあると思いますが。
これが武道とスポーツの大きな違いであり、難しいところですね。
どちらにしろ身だしなみに関して言えば、人を不快にさせる格好は好ましくないと思いますが。

60:ロッキーさん
すいません、手違いで同じ内容を投稿してしまいましたm(__)m
無視して結構です。

61:ロッキーさん
すいません、紅一入さんの追記を読んでなかったので、それに対して私も追記させていただきます。
これは「弓道」に対する考え方が現れる問題で、とても興味深いことだと思いました。
それは弓道を「歴史」と「進化」のどちらに比重を於いて捉えるか、ということです。
「歴史」として強く認識するのならば、たしかに現代の我々が安易に手を加えることは禁忌なのかもしれません。
一方で「進化」の側面を重視するならば、伝統に捕らわれずに改変を加えることは必要だと思います。
私は「進化」を重視すべきだと思っていますが、日弓連の考え方は「歴史」寄りのようですね。
まあ「文化としての弓道」を守る立場ですから当たり前と言えば当たり前ですが。
これはどちらが正しいという問題ではないと思います。
ただ、私の考えとしては、現代人は練習量において昔の人には絶対に適いませんから、少しでも昔の人達のレベルに近付くためには、道具や技術を進化させるべきだと思ってます。
またそのために例え昔の人にとって切腹ものの行為をすることになろうとも、現代には現代の生き方があり、武道もそれに合わせて変化すべきだとも考えています。
とはいっても、限度はあると思いますが。
これが武道とスポーツの大きな違いであり、難しいところですね。
どちらにしろ身だしなみに関して言えば、人を不快にさせる格好は好ましくないと思いますが。

62:前三さん
身だしなみといえば・・・、遠い遠い昔に、社会人になって初めて市営の道場に行き、当然のように裸足で弓を引いていたら、お爺さんに、ものすごい剣幕で怒られたなぁ。
今でも、足袋を履かなければいけないことに納得しているわけではないが、一般弓社会の常識を知らなかったです。半年ほど前から行き始めた道場でも、入り口に「弓道場は裸足厳禁」の張り紙があって、ああ、普通はそうなんだぁと思いました。
すいません、無駄話でした。

63:マリオさん
それは私も同感ですね。
よく「武道だから裸足はみっともない」とか「神聖な道場に裸足で入るのは無礼」などと言う方がいるのですが、剣道や柔道はどうなんだと言いたくなります。
まあ「そういう決まり」だから仕方ないのですが、必要性が不明確ですよね。

64:紅一入さん
ロッキーさん
 矢や弓に印をつけること。
 番える位置や狙いや矢尺を同じにして稽古することは良いことだと思うので、私は印をしています。審査や大会に出るときは矢摺籐を換えればいいかな、と思っています。頻繁に公に引くようになったら、普段はテープでも貼りましょうかね。バカバカしいですがね。

前三さん
 足袋の件は、私も全く同じ体験をしました。いまだにわけわかりませんが、一応足袋は履いています。
 

65:初心者さん
>例えば矢や弓に(的中率を上げるための)印をつけることは現在禁止されていますが、これは昔は普通に行われていたことです。

 教えてください.
 この「昔」というのは,いつ頃の事なのですか? あるいは,禁止されたのは,いつごろからなのですか.
 議論の腰を折るような初歩的な質問で申しわけありませんがお願いします.

66:ロッキーさん
先ほどは何度も連投してしまい失礼しました。

初心者さん
知り合いの大学教授から聞いた話で、私自身が調べたわけではないので詳しいことは知りませんが、「昔」というのは戦前、あるいは江戸時代のような「はるか昔」のことだと思います。
その頃は今と違ってあくまで武術の一環でしたから、的中率を上げるための工夫なら許されたのでしょう。
今でも紅一入さんのおっしゃるように練習のときには印をつけて、公の場では隠すというような工夫をなさっている方はいますが。
別に印をつけたところで「精神力」が下がるわけでもないし、むしろ技術的にプラスになることなのに、なぜ禁止されているのかは謎ですね。

67:たぶんおやじさん
印に関連したことを一つ

武系の取り懸けは矢の下から上に上げますが

本来、弦の中仕掛けに矢玉と言う玉が作ってあり、そこに筈が来ると普段の矢の位置に成ります。
戦は昼夜関係なく起こりますからそんなの当たり前と言えば当たり前かと・・
それと、矢玉にはもう一つ理由があって鏃が重いので矢先が下がろうとするのを押さえる意味もあったようです。

今でも蟇目の弦には矢玉があります。(私が見た先生だけかもしれませんが)

籐の狙いの私見ですが現在、的前は28mと決まっていますからそれなりの弓を使えば水平で的に中ります。さして狙い如何こうは無いように思いますが如何でしょうか?

68:ロッキーさん
籐に関してはたしかに印をつけなくても狙えるものですが、「ミリ単位の正確さ」を求めるならばやはりアーチェリーのように目印になるものがあった方が良いように思います。
矢玉も目印のようなもので的中率に関わることなのに 、なぜそこだけ許容されているのか不思議です。
結局、「道具に頼らずに実力で中てろ」ということなんですかね。
まあスレタイと関係ない話題ですからこの辺にしときますか。

69:初心者さん

>、「昔」というのは戦前、あるいは江戸時代のような「はるか昔」のことだと思います。

 御回答ありがとうございました.的中が重要なのに,この規則は不思議な存在だと以前から感じておりました.

70:紅一入さん
矢玉の件
 ツユ、しずく のことですね。
 戦場では敵を見ていなければならないので(矢や人が飛んでくるから)、手元を見ないで番えなければならない。また、夜間や矢狭間などの暗所で番えなければならない。そのため、「捻りかけ」という矢番・取懸の方法がありました。簡単に説明すると、矢筈を弦を挟んでつまみ、引っ張って弦に掛け、下からコキ上げて矢がツユで止まるまでコキ上げて取懸完了という方法です。昔の拡がった筈で柔帽子ならばできると思います。腰矢組弓などで見ることができます。

71:たぶんおやじさん
>紅一入さん
>昔の拡がった筈で柔帽子ならばできると思います。

戦場では指輪で引くと聞いています。
かけでは矢が尽きた時に刀などを使えません。
ここら辺だけなのかな?

72:ロッキーさん
たしか柔帽子って戦闘時に刀を持てるようにするために作られたものだった気がします(うろ覚えですが)。

話題を身だしなみに関わることに戻しますが、どうも「柔帽子は初心者用でカッコ悪い」という風潮があって避けられてる気がします。
個人的には「素手に近いほど良い」と思っているので柔帽子派なのですが、堅帽子に拘る方々は何か技術的な理由があってのことなのでしょうか。
堅帽子ならではの良さもあるのでそれが目当てなら良いのですが、単に「柔帽子はカッコ悪いから」という理由ならば、ある意味茶髪にしたりピアスしたりする人の心理と同じ気がします。
今までは身だしなみのことについて触れてきましたが、この柔帽子の例や派手な色の矢や袴など、道具の見た目に関しては皆さんどうお考えでしょうか?

73:元 ◆ntlC4wAIさん
>本来、弦の中仕掛けに矢玉と言う玉が作ってあり、そこに筈が来ると普段の矢の位置に成ります。
昔の竹箆を直に削った箆筈ならではですね。

>戦場では指輪で引くと聞いています。
平安より以前はそうしていた、という話を見たか聞いたかした記憶が。
確かトルコの弓も親指に指輪を嵌めて引くそうです。
中世はやはり武者ガケで、しかし必ずしも一様ではないでしょうね。

>柔帽子って戦闘時に刀を持てるようにするために作られたもの
ではなくて『刀を持つ必要があるがために帽子を固められなかった』のでしょう。
それに戦時は腰に差す矢は1人あたり二十数本、それほど多く射るわけでもなく、補強も革一枚で済んだのでしょう。
で、三ツガケは稽古用と。

>この柔帽子の例や派手な色の矢や袴など、道具の見た目に関しては皆さんどうお考えでしょうか?
堅帽子もちゃんと離れの機能を考えて作られてますからね。実用としては一長一短ってとこでしょうか。
弓も矢も着物もアイテム単位で見るだけじゃなく、それを使う我が身を想像してトータルで見てコーディネイトして欲しいもんです。


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