神前礼拝のおこなう意味 (投稿17件)[1〜17]


1:最近中らないさん
弓道の世界では基本的に神前に礼拝をしてから弓を引き、終わったら礼拝をしておわりますが、人によっては信教の関係で礼拝をおこないたくない人も少なからずいると思います。個人ならば問題ないですが、地連や学校などの団体に所属して弓を引く以上は、伝統や協調、統率を考えなければならないのでさせるべきでしょうが、ここの掲示板を見る方はどのように思いますか?
返信をお願いします。

2:武人 ◆OiJfwYOoさん
己の流儀を貫く事も立派だと思いますが、郷に入りては郷に従えと言う様に、其処で弓を引くからには、其処のルールに従うのが当然かと思います。
少し話しが逸れますが、逆に言うと、皆が皆、自分の好き勝手に振舞えば、今はよくてもその集団はいつか破綻すると思います。

3:デビ ◆5h7.ceJYさん
別に弓道=「神前礼拝が必須」では無いですので、神前礼拝は個人の宗教に応じて行えば良いかと思います。

「クリスマスはキリスト教徒気分でケーキを食べて、大晦日には神社に行って、人が亡くなったらお寺でお経を読む」などと言う何でも有りの宗教観は世界的に見れば稀なそうです(もちろん、私もこれに当てはまりますが)。イスラム教徒などは一神教なので他の宗教の神様を敬うことなどしません。

学生の頃の留学生は神前礼拝時には、後ろでつっ立ってました。そして、それはそれで良いと思います。

国際化を考えるのであれば、「神前礼拝をしなければだめだ」と言う宗教(神教)を押し付ける考え方は危険かと思います。

会社の道場では宗教色が染まるのを敬遠して、神棚には道場の象徴として「的」を飾ってあります。始めと終わりは道場への感謝の気持ちを込めて一礼のみ行っています。(拍手等なし)

4:最近中らないさん
武人 ◆OiJfwYOoさん、そして管理人様自らが返信したことに大変感謝しております。

実際、日本の憲法では信教の自由も認めていますので、必ず神前礼拝をする必要は確かにないのかもわかりません。ただ、上にもありますが、武人さんが書かれた号にいれば号に従えという言葉、そこの団体で弓を引く前・引いた後に、全員がするものであってつまりそれは慣習としてなっているのでいくら宗教などにそむくとはいえ、礼拝は形式的にでもさせたいのは自分の正直な気持ちです。実際、団体で礼拝をしていて果たしてそのうちの何人が礼拝のする意味を知っているかどうかを考えると少ないでしょうから、みんなが礼拝をしているのもただの形式的なものであるのではないかと思います。

管理人さん
>会社の道場では宗教色が染まるのを敬遠して、神棚には道場の象徴として「的」を飾ってあります。始めと終わりは道場への感謝の気持ちを込めて一礼のみ行っています。(拍手等なし)
これについてですが、管理人さんが勤めている会社のことですか?もしそうであれば入社した
時からずっとそうだったのでしょうか?
あとは道場に入ったり出たりするときに礼はしているでしょうか?

5:最近中らないさん
誤文失礼しました。郷にいれば郷に従え ですね・・・

6:デビ ◆5h7.ceJYさん
>これについてですが、管理人さんが勤めている会社のことですか?もしそうであれば入社した
時からずっとそうだったのでしょうか?

私の会社の話です。他の会社ではどの様な状況かはわかりません。的を脇正面に置いていない時は的場に向かって礼をしていましたね。

>あとは道場に入ったり出たりするときに礼はしているでしょうか?

私はしてないですね。道場内の方への挨拶のみで道場へ入って行ってます。もちろん別にしても良いと思いますが。

7:nasiさん
日本人の宗教観はかなり甘いですから(それが良さでもあるんですが・・・)、それを基本において郷に入りては郷に従えは少し危険な気がします。

敬謙な一神教の信者である方から見れば他の宗教の神を信じるような行為を、仮に表面上であっても行うことは重大な背反行為になります。それは他者の精神的沃野を踏みにじる行為であって、弓道を持って和するという現代弓道の心を踏み外す行為ではないかと思います。

>己の流儀を貫く事も立派だと思いますが、

とあったのですが自分個人の流儀ではないかと思います・・・。それを貫き通させるほど神・宗教という存在は重いのだといえます。きっと大勢が神前礼拝をしている中で、自分の神を信じているからとは言え、同じように行わないのはとても怖いと思います。逆にそういった勇気を与える事ができるのも神なんですが・・・。私は何でも信じるような信じない不信心な人間ですから表面・形式上はすることになんら罪の意識を感じませんが、そんないい加減なことは本当に自分の宗教を持っている人には出来ないことだと理解する必要はあるかと思います。

ちなみに私の地域では神前礼拝はいっさいしません。私の所属する道場でも同じで、だいたい管理人様と同じような感じで練習前に的には一礼しています。キリスト教徒の留学生の方も普通に的に対する礼はしています。ただこれは武道的な意味あいで宗教とは関わらないという認識ですが・・・。

8:nasiさん
私は神前礼拝、神道的な弓道があるというのはそれは文化を守るという点で非常に良いことだと思います。それも立派な信教の自由です。

ただそういった場・環境であれば、他の神を信じるような方の入会は制限するとかそこまでいかなくても、そういった礼儀は最低できるか否か確認をする必要はあるかと思います。神前礼拝をしないことが=その環境に対する冒瀆であるという環境であれば、そういった方を受け入れるほうが、初めからナンセンスなんじゃないかなと・・・。受けて入れてから組織を守るために郷に従えでは互いに不幸なだけだとは思います。

9:弓遊び2号さん
高校生の時分、同期の敬虔なキリスト教信者の女子に、「イエス様でない神様に拝礼するのって、イヤじゃないの?」と聞いたことがあります。その子はこう言いました。

「私は神棚に向かって神拝する。それは『弓の神様』に、ここを使わせてくださいって、ご挨拶しているんだ。何も矛盾しないよ。」

日本人ならではの発言かもしれませんが、当時私はたいへん納得しました。彼女の中では、イエス様と同等の神様(ではあるが、私の信じる神ではない)の感覚で、弓の神様がいらっしゃるようでした。だから、隣の人に「よろしくお願いします」と言う感覚で、拝礼していたようです。

実際道場という場を借りて、稽古をさせてもらっているわけですし、その場の神様に「よろしくお願いします」と言ってもいいな、と思うのは、私が日本人だからかもしれませんが。

10:年寄り・・・さん
横から一言。
確かに、弓道だけではなく、日本古来の武道と呼ばれているものは、神道とのかかわりが非常に強いと思われます。昔(20年前くらい)、私が使っていた弓道場(市営)には、ちゃんと神棚もあり、道場への出入りの際には、拝礼も行っていました。ただ、今の道場(別の市営の道場)には、一切なく、また、県の道場にも、神棚の変わりに的が置かれています。
このように、どんどん時代とともに変化が起きていると思います。
この前、天皇杯の試合のビデオを見たのですが、なぜかスタートは、明治神宮参拝からでしたが・・・

「郷に入れば郷に従え」という言葉もありますが、確かに 自分のポリシーを曲げてまで強制するものではないと思います。
(だから、道場に神棚がなくなってきているのだと思います。)

ただ、私の考えは、道場は神聖な場所・・
入るときは、「よろしくお願いします」
でるときは、「ありがとうございました」
と、中に人がいようがいまいが、道場に挨拶をしています。
これを、人に押し付ける気持ちも有りませんし、他人からどうのこうの言われて 止める気は有りません。

くだくだ書いてしまったのですが、要は、本人の気持ちしだいだと思います。

PS:ぜんぜん違う話ですが 私の知り合いで、国旗に向かって礼をしない人もいます。(これも、ご本人のポリシーだそうです。)

11:麩さん
このての話は今の日本人の感覚で話し合うのはどうだろう?
例えば、

>PS:ぜんぜん違う話ですが 私の知り合いで、国旗に向かって礼をしない人もいます。(これも、ご本人のポリシーだそうです。)

日本国旗に背を向けて柔道をする。
韓国国旗に背を向けてテコンドーをする。
中国国旗に背を向けて中国武術をする。

韓国人なら云うんじゃないかな
「そんな奴はテコンドーをするな」
中国人なら云うんじゃないかな
「そんな奴は我が国の伝統武術を汚すな」
とね。

12:抹茶さん
私が部活で使用している道場には神棚があります。
神前礼拝もします。でも、宗教的なものは無いですね。
私の部活では、神棚には鏡(銅鏡かもしれません;)があって、それ礼をすることで自分と向き合う・・っていう意味で、神前礼拝しているんです。
でも宗教にこだわる人がいないので、そういうのはOKかはよく解らないのですが・・

私と同じような人っていますか?

13:T・Tさん
 こういった事は他人に強要すべき事では無いと思うのですが、それを承知で自分の意見を言います。
 まず、私は神棚に対して礼をしている訳ではありません。私は神様に向かって礼をしています。
 ここで思うのは、我々が礼を行う「日本の神様」は英語で言うところの「GOD」ではないと思うのです。我々が礼をする相手は、万物に宿る数多の神様達「八百万の神」であり、これは英語で言うところの「SPIRITS」であると言う事です。
 万物に聖霊が宿ると感じ、これを神として敬う行いは我々日本人の精神であり、神道や仏教といった宗教の概念とはかけ離れた物であると考えます。現に仏陀を最高神とする仏教でも日本で発生した宗派では様々な物に対して「仏」の存在を当てはめ、信仰しているのですから。

14:とおりすがりさん
横道にそれますが、

天皇杯での明治神宮参拝は別におかしいことではないと思います。
記憶違いかもしれませんが、神社・仏閣は宗教施設であり、神道・仏教共に、神社・寺の境内に入ること自体が宗教的行為であると、聞きました。至誠館は明治神宮内にある以上、そこへ足を踏み入れたことは参拝すること同じなのでしょう。
キリスト教などの一神教とはそこが全く異なります。

ちなみに、一神教では価値観の多様化は生じません。唯一絶対の神が正しいと決めたものが価値なのですから、正しいものは一つであり、複数を認めることは論理上有り得ないからです。ローマ法王も"(イスラムなど)他の神を崇める人が存在"は認めても、"他の神の存在"は認めません。

15:聡美さん
自分の学校も始めと終わりには礼拝をします。入部した時に始めの時は「今日はこんなことをします〜」、終わりの時は「今日はこんなこてをしました〜」などを考えると教えられた気がします。うつろな記憶ですいません。

16:感謝さん
今日も一日道場を使わせていただいてありがとうございます。と、今自分が大好きな弓を引くことができる事への感謝の気持ちだと思います。応援協力してくれる親、友達、先生、弓道場、弓具、すべても人、モノへの感謝の気持ちを、神前礼拝を通して表す。いわば食事のいただきますのようなモノですかね。武道は礼に始まり礼に終わる。

17:ミスド好きさん
みなさん、「しんとう」という言葉をご存知でしょうか。
T・Tさんが仰っているものがまさに「しんとう」で、私はこれが日本の宗教だと思っています。そう考えると日本にもしっかり宗教はあります。
一神教が日本で普及しないのは、そのためではないでしょうか。クリスマスもお正月もあっておかしいようですが、日本にとってキリストもお釈迦様も多くの神の中の一つとして扱っていると考えると、別に変ではないと思います。


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