的中 (投稿8件)[1〜8]


1:ワカクワさん
 こちらに書き込むないようでは無いかもれませんが、こちらのカテでご要望をいただいたのでこちらに書き込みます。
 
 昔の的中についてですが、まず浦上榮先生は的中の名手だった事はよく聞く話です。先生は神奈川の海軍の学校の弓道部で師範をされている際、よく練習前に一手礼射をされたそうです。すると、この道場だけではいつも的中箇所の高さが1センチほど下がるのを見て、「こちらの道場は他よりも一間ほど長いようです」とおっしゃったそうです。実際、この道場は他の道場よりほぼ一間長かったそうです。
 弓道教本に出ているある先生は、若い頃は賭け弓の名手で、その中て方がまたすごかったようです。弱い弓をもちいて山なりに矢を飛ばし、的の中央横一線に矢を中て、後はその横並びの矢の上に後続の矢を載せて中てたとか。しかし、のちに師匠から説教を受け、賭け弓を辞めて弓道修行を再出発させたそうです。
 昔の日置流の教えでは、100射で96中以上がよく中るといわれ、95中以下では0中も同じ扱いだったそうです。
 昭和初期に静岡にいらっしゃったある先生は、連続的中1100中以上を記録したそうです。この先生は太平洋戦争前は名手の1人で、知らぬ人無き方だったそうです。
 ざっとこのような感じです。実名を出すと他の掲示板等で思わぬ書き込みをされる可能性もありますので、敢えて遠慮させていただいた部分もあります。
 残念ながら、このような話は大体が個人道場で伝わっている事が多く(そのような道場も大分無くなっている)、書籍に出ている事は稀です。

2:小坊主さん
>ワカクワさん
僭越ながらお伺いします。

的中に関する情報はどうやって得たのでしょうか?それと書籍についてですが書名を教えていただけないでしょうか?

3:大五朗さん
オリエンタルラジオの武勇伝じゃないけど、口伝で"昔、誰も引くことのできなかった60kgの弓を引いた力士がいて矢が的を貫通してしまった。武勇伝、武勇伝"なんて話もあったような気がします。
全国にはまだまだたくさんの武勇伝があると思いますよ。(盛り上がりそうな予感・・・。)
ほかにも逸話をご存知の方教えてください。

4:小坊主さん
>ワカクワさん
僭越ながらお伺いします。

的中に関する情報はどうやって得たのでしょうか?それと書籍についてですが書名を教えていただけないでしょうか?

5:小坊主さん
すいません。2回投稿してしまいました。

6:明鏡止水 ◆IDFFcYqcさん
>ワカクワさま
面白い話題をありがとうございます。

> 昔の日置流の教えでは、100射で96中以上がよく中る
はい、皆中と云えば百射皆中で、上記の場合は‘能中’と記されていますね。
時代的には、もう少し溯って江戸時代の話しになるようですが・・・。

>どうやって得たのでしょうか?
主には‘口伝’ではないでしょうか。
道場の先師の方々からお話として伺うことだと思われます。
(口伝えですから、尾鰭が付いたり、誇張や脚色が加わったり・・・と云うケースも在り得るかもしれません。)


ご参考にになるかどうか解りませんが、こう云った書籍もございます。(地域限定かもしれませんが・・。)

http://www.taiyo-g.com/hondanakyudo.html
http://www.bk1.co.jp/product/1597135

7:ワカクワさん
 この手の話は確かに尾鰭がついて大きくなっている可能性はありますね。
 強弓に関しては、竹林派のある高名な先生が、明治時代に御前演武にて寸弓を引き、一寸的に一手皆中させたそうです(一中という話もある)。この先生に関してはかなり古い月刊弓道にもでています。
 残身の写真もありますが、細身でアバラ骨が浮き出ていて、ぱっと見では栄養が足りない?!ような印象を受けます。
 明治時代までは、一寸二分を引いた、という話があり、兜を3つ串刺しにしたとか、安土を貫通していたという話もあります。

8:枕流さん
>ワカクワさま

天覧の金的の話は有名ですね。
実際にその金的を見ましたが確かに蹴り込んだ跡が残ってましたので皆中だったようですよ。


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