中て射についての質問です。 (投稿11件)[1〜11]


1:子ギツネさん
こんにちは、僕の部活での後輩が中て射を志すと言ってきました。後輩は初心者で今年から始めた子で先月、的前にたちました。 で・・中て射を目指すと言ってきたのですが、中て射とは考え方なのではないですか?つまり的中にこだわり、大配、射型を気にしないのが中て射の考え方なのですか? あと中て射って本当に中るのですか?

2:笹岡 ◆mRq5DITcさん [url]
勝手に言わせておけばいいんじゃないですか?
少し経てば、メチャクチャな射形では中らないこともわかってくるでしょう。痛みを知ってこそ、より成長できるものです。
中て射に正確な定義はありません。考え方は人それぞれです。しかし、中らない射が中て射でないことは当たり前ですね。よって、中て射は中ります。
私は多くの人が目指している「正射」こそ究極の中て射だと考えています。
体配とかはまた違う問題だと思います。礼儀や見栄の問題でしょうか。

3:弓太郎さん
射形が汚ければ、ビデオでも鏡でも自分で見れるようにしてやると中て射がどれだけ恥ずかしいものか分かるはずです。

4:斜面見習いさん
行動に移すのは難しいです。
後輩がどういった意味で中て射を目指すか知りませんが温かく見守るのも一つの選択肢のような気がします。

5:虎さん
僕は中て射は以前まではあまりよくないなと思っていました。
しかし今はそうは思っていません。
人にはいろんな形の弓道があると。中て射もそれで中てられるのならある意味才能だと思います。
その後輩も後輩なりに考えてそう思ったのではないでしょうか?

6:弓遊び2号さん
臆面もなく「中て射にこだわりますから!」なんて、後輩に言われたら、「そうか!頑張ってな!」と私なら答えます。だって、究極の「中て射」は、正射だと思うから。

本当に、一本もはずさない為にはどうしたらいいか、真剣に考える後輩であれば、自分の身体を有効に使って的に中てる事を、いずれ考えはじめるでしょう。体配を一分のすきも無く行なった後の行射の、精神集中の高さにも、いずれ気付くでしょう。結果、他の大勢の人と同じような道をたどるはずです。学生時代に気付くことが出来るかどうかは疑問ですが。

中途半端なこだわりだと、それこそ殆ど何をやったかわからずに学生時代を終わると思います。結果、自分は才能がないのだ、センスがないのだ、ヘタなのだなどと、わけのわからない事をいいだして、弓をやめてしまいます。

「的中にこだわる」と明言するところに、幼さを感じてしまうのは事実ですが、そこから始まる弓の面白さには、他の人より早く気付くかもしれません。


入り口はどこでもいいのです。自分の「弓道」という山の登り口を決める事が出来、その山を最後まで登る心さえ持てば。私はそう思います。

7:元学生さん
子ギツネさんが言われる「的中にこだわり大配(体配?)射型を気にしない」というのは、私なりに言い換えると「当てるために必要なことだけ行って、必要でないことをしないこと」でないでしょうか。
体配や射型が的中に本当に不必要でしょうか。私は9割以上当てるには、必要と考えています。弓道は同じことを正確に再現し続ける究極の武道です。よって、弓を持って射場に入るときからいつもの精神状態の再現から始まり射に入ってからはいつもの動作を再現するものと考えます。
体配、射型が毎回違うのに同じ的に当て続けられるならそれだけ多くの当て方を会得していると思います。しかし安定を求めるならそれらの中から答えを見つけていけるはずです。

弓遊び2号さんが言われるように入り口の一つであり、最後まで登りつめられるならきっかけとして中て射にこだわるのもいいのでないでしょうか。だたし、自己流で進めるうちは誰も助ける事ができないので、自分で解決する人並み以上の努力は必要ですが。

8:ココア ◆TSNv0Klsさん
僕は清射を目指していますがそれは結局中る射のための清射だと思います。だから中て射も対照的ですが清射を目指すととってもいいのでは?

9:蒼嶺さん
正射って言うのは理に適った射という意味ではないでしょうか...射形や体配それ以前を問う言葉では?射形が綺麗でも実が無ければ中りも悪いですよね?術の無い技は技とは呼べないのです。弦は響さんがおっしゃる後輩さんはまだ技や知恵を目一杯得る段階です。まだ自身の弓道の画を描けていないのですから、成長を見守ってあげましょう。いずれ中りを求めて行く時に何が必要か人知れず理解するでしょう。

10:喜助さん
中て射がいいとか悪いとか,それは後輩が自分で悟らないといけませんね.
先輩が出来ることといえば,正射を目指してひたむきに鍛錬する姿を見せてやることだけじゃないでしょうか. 

11:Sanctifyさん [url]
確かに、中て射を目指すのは間違いではないのかも知れませんが(弓道の元々の目的は的中ですから)…。中て射は最初からいきなり求められるものでもないと思います。まずは…基本を身につけるところから…でないと、中て射どころか、自分で考えながら引くということ、不調の時自分で中らない原因を考えながら引くことすら、ままならなくなってしまう気がするのですが…。

ちなみに、私も元学生さんと同様、体配と射技は一貫しているものだと考えています。射技体配どちらも100年単位の長い歴史の中で完成されたもので、仮にそれらが無駄なものだとしたら、長い歴史のどこかで廃れてしまっているはずです。それが、今まで残っているのですから、不要なものとは思えません。それに、現実的には試合などで緊張した気持ちを落ち着かせるには時間がかかる訳で、例えば入場から気持ちを落ち着かせるために体配に気を遣う人と、ただ入場して射位に入ってから気持ちを落ち着かせようとする人では、気持ちが射に及ぼす影響が違う気がするのです。もっとも「試合で緊張なんてしない」という人にとってみれば、どうでも良いことかも知れませんが(^^;


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