最近考えるのですが


1:レオさん
219.176.48.125(yahoobb219176048125.bbtec.net)
中て射はいけないとかよく言いますが、そもそも中て射ってなんなんですかね?中ってる人は、どこかいい部分があると思うのですが、皆さんはどう思いますか?
2:綾さん
210.251.2.6(c3proxy0.ezweb.ne.jp)
中て射というのは、的中だけにはしって体配や射法八節などがおろそかになっていることではないでしょうか?「あてる」と「あたる」は違うと思います。
3:葵使いさん
218.219.4.18(p018.net004.tnc.ne.jp)
中っていても中っていなくても、
 射形が綺麗でも汚くても、
体配が優雅でもそうでなくても、
中てることしか考えていないなら中て射。


だと思ってます。
4:北の国からさん
211.5.2.147(abproxy7.ezweb.ne.jp)
おもうに、八節は的にあてるためには凄く合理的、理論的になりたっているのだはないでしょうか。中て射というのは確にそこになんらかのあたる理屈があるわけで、事実、自分もそれで高い的中をだしている人をみたことがたくさんあります。しかし、それは見方によっては良いといえますが、弓の合理性や弓道という武道の考え方からいくと相反するのではないでしょうか?矢を飛ばし、的にあてるという行為だけを楽しみたいなら構いませんがその行為がもつふくみを楽しむためには基本を重んじる必要があるのではないでしょうか。
5:風来さん
165.93.209.100(_)
私は自然な射と不自然な射と考えています。自然でスマートな射なんて早々できるものではないですけどね。自然な射に近づこうとする射は決して中て射ではないと思います。が、試合で中てなければならない時は不自然でも中てようとしますよね。それが中て射なのかと。でも学生弓道でのウェイトは『自然さ≦的中』でしょう。
6:れおさん
219.176.48.125(yahoobb219176048125.bbtec.net)
さまざまな意見ありがとうございます。自分は、中て射も正射も中て射は形が少しずつ整い正しい引き方に、正射は中るポイントをおさえてきて自分なりの正射になって行くと思うので、結局は行き着くところは同じだと思うのですがどう思いますか?
7:風来さん
165.93.11.16(inet13.tuat.ac.jp)
的中にとらわれていると上達を妨げ、次第に射を崩していくということがあります。長いスタンスで考えるなら、的中にとらわれない練習も必要という事です。(正射を目指すなら)
『的中にとらわれた射を自然な射とは思わないので、それを以って中て射と呼ぶと思います。』
と言うべきでした。申し訳ありません(^^;)

ホーム > 弓道座談会 > 2003/08まで > 最近考えるのですが

(c)デビール田中 : 問い合わせ